2006年1月18日水曜日

因果の理法(3)三時の業

仏道の世界では、この世の中の一切の物事に関連して、100%狂いのない原因結果の関係が、付随しているという主張をしているけれども、実際問題として果たしてその通りであるかどうかという問題に関連して、疑問が湧く。そしてその様な疑問が、正法眼蔵自身の中でも、「三時の業」(84)の巻において取り上げられている。第19祖鳩摩羅多尊者の弟子である者夜多尊者が、ある時師匠に質問していうには、自分の両親は釈尊の教えを充分に信じているにも拘らず、病気勝ちであり、隣の屠殺を職業とする家柄の人間は、健康にも恵まれ、動作も調和が取れている。そのように屠殺を職業とする人間が幸せで、仏道を信じている自分の家が、何故不幸せなのかという質問をした。ところが師匠の鳩摩羅多尊者が云われるには、「どうして疑問を持つ必要があろう。原因がありそれに伴つて結果が現れる関係には,三種類の時間のずれがある。原因があつて直ぐ結果が現れる場合と、原因があつて暫く時間が経つてから結果が現れる場合と、原因があつてから非常に長い時間が経つてから結果が現れる場合との違いがある。したがつて親切な人が早死にをしたたり、乱暴な人が長生きをしたり、間違つた人が幸福に見えたり、正しい人が不幸であつたりするために、原因結果の関係がないと考えたり、罪悪と幸福との間には関係がないと考えたりするけれども、それらの人々は原因と結果との関係が、物に影があり音に響きがあるのと同じように、一分一厘の狂いもなく、無限に近い長い時間が経過しても、原因結果の関係が消えて亡くなるということはない。」と。者夜多尊者はこの言葉を聞いて、即座に疑問を解決したと説かれている。
したがつて原因結果の関係については,原因と結果との間に全く時間的なずれにない場合、多少時間的なずれのある場合、非常に長い時間的なずれのある場合とのあることを知つて、原因結果の関係には一分一厘の狂いもないことを知らなければならない。このことも仏道における原因結果の正確さを知る点で、極めて重要な意味を持つて居る。