2005年12月30日金曜日

真理の探究(4)「さとり」の実体

「さとり」とは、われわれが頭の中で考えた思想の世界に生きている訳ではなく、また感覚器官を通じて受け入れた感覚的な刺激の世界に生きている訳でもなく、この現実の世界が心と物とに分裂していない以前の現実の世界に生きていると云う現在の瞬間における単純な事実を確認することである。今から2千数百年前に釈尊はその事実を發見され、その教えを信じて殆ど無数と云つてもよい人々が、その教えを実行し、それぞれの幸せを得た事は歴史的な事実であるが、そのような事実が何故起こるのかという事については、20世紀前後に達するまでは、人類はその理由を知る事が出来なかつた。
しかし幸いにして19世紀、20世紀、21世紀にかけての近代心理学、生理学の進歩を背景として、科学的な分野からも,何故、坐禅の修行が人間の幸福に関係して来るかと云う解明が行われるようになつたという事は、人類にとつても非常に幸福なことである。人類は19世紀から21世紀にかけて心理学,生理学が長足の進歩を遂げ、人間の体内に、心と体との接点として、自律神経の存在を発見した。しかもその自律神経が、交感神経と副交感神経との二つに分かれ、交感神経が強い場合には思考の働きが強く,副交感神経の強い場合には感覚の働きが強いこともはつきりして来た。そして交感神経と副交感神経とが均衡した強さになつている時には,正しい判断に必要な直観的な判断が豊かになるということも、はつきりして来た。したがつて人類は絶えず自律神経を均衡させて、常に正しい判断を維持する必要があるのであるが、その要望に答える事のできる修行法が坐禅である。
釈尊の教えは,2千数百年前に釈尊が坐禅の修行をされた所から生まれて来た教えであるが、この坐禅という修行法が何故人間の幸福に繋がるのかという理論付けは、現代社会になつて始めて可能となつた。その理論がはつきりして来たということは、何故人類が坐禅の修行を必要とするかということが、ようやく解つて来たという事を意味するのであり、それは古代インドにおける宗教的な修行法の理論付けが、20世紀前後の科学理論によつて可能となつたという事である。つまり古代インドに於ける宗教的な知恵と,少なくとも数千年を経過した欧米文化とが、21世紀の今日、出会いつつあるという事であつて、その歴史的な意義は、決して軽く見る事が出来ない。
しかも自律神経の均衡している事を基準とする文化は、交感神経が強い時に現れて来る思考の文化と、副交感神経が強い時に現れて来る感覚の文化とを主流とする欧米文化とは根本的に違う性質を持つた古代インド文化であるから,そのように全く違う二種類の文化が、21世紀における歴史的な事実として合流して行くという事は、非常に意味の高い出来事であると思う。