2005年12月14日水曜日

仏教と現実主義

以上で述べたように、人類の哲学的な傾向は19世紀の後半以来、現実主義の時代に突入したと考えられるのであるが、実は古代インドにおいて、紀元前4世紀頃に極めて徹底した現実主義の思想体系が、ある天才的な思想家によつて確立されていたと云う事実がある。そしてその天才的な思想家とは、ゴータマ・ブツダすなわち釈尊のことである。当時、古代インドにおいてはまだ文字が發達していなかつたから、釈尊の教えは説法を聞いた人々の記憶に頼つて伝承されたが、やがて文字の發達と共に経典となつて、後世に伝えられた。このような形で仏教思想は形成されたのであるが、長い年月の間には様々の解釈が生まれ、その解釈が非常に多岐に分かれたため、仏教という思想は非常に解り難い思想になつてしまつた。しかし釈尊が仏教を説き始めてから2千数百年の間に、釈尊の教えを徹底的に勉強し、釈尊の教えの究極に達したと考えられる仏教思想家が、少なくとも2人は居たと考えている。一人は2世紀から3世紀にかけて活躍したインドの佛教僧竜樹尊者であり、他の一人は13世紀に活躍した日本の仏教僧道元禅師である。私は17歳の頃から道元禅師の仏教思想に引かれ、その著作の勉強を始め、約60年程の歳月を費やして道元禅師の仏教思想を解明し、その講義をし、坐禅の指導をして来たものではあるけれども、その当時は単に日本の一仏教僧が、釈尊の教えはこの世の中が実際に存在するという現実主義の教えを主張していると云うだけのことであつて、釈尊の教えがやはり道元禅師の教えと同じように、現実主義の教えであるということに就いては、確証がなかつた。しかし約23年程まえから竜樹尊者のお書きになつた「中論」という著作を直接サンスクリツト原典を通じて読む機会に恵まれた。しかし「中論」という著作は非常に難しい著作であつたから,最初は何十回読んでみても,何百回読んでみても意味の解らない著作であつた。しかし諦める事無く解読のための努力を続けている内に、「中論」の意味を理解するようになつた。私が「中論」の読めなかつた最大の理由は、「中論」が現実主義の立場で書かれた著作であるにも拘らず、その事に気付かなかつとことにあつた。そこで仏教を正しく理解するためには、まずその最初の前提として仏教を現実主義の教え、したがつて実在論として理解することが如何に大切であるかということを痛感した。