2005年12月26日月曜日

真理の探究(2)苦行

ウツダカ・ラーマプトラから、非想非非想処と呼ばれる思想と感覚的な刺激とを共に排除した、現実的な境地を教えられ、アーラーラ・カーラーマからも、やはり無所有処という所有に拘らない境地を教えられたけれども、それらが何れも思想的な面のみが色濃く、実践的な面の少ないことに失望した釈尊は、寧ろ思想的な面を離れて、肉体的な面に活路を見出す方向に転換した。即ち古い時代からインドにおいて行われていた、自分自身の肉体を極端に苦しめる事に依り,人生問題にある種の解決を図ろうとする方法を選んだ。釈尊は苦行の面でも非常に厳しい態度で望まれたと見えて、食事を切り詰める面でも睡眠時間を少なくする面でも、徹底した態度で望まれた処から、修行中に二三度仮死状態に陥り、「ゴータマが死んだ」という噂が流れたと云われている。しかし釈尊は自分が苦行を続ければ続けるほど、体力が衰え心が不安定になることを発見した。そしてこの事実は釈尊が苦行に如何に努力して見ても、変わる事が無かつた。この体験も釈尊にとつて非常に貴重であつたと云える。もしも釈尊が実銭的な方でなかつたならば、仮令釈尊が他の人から苦行の実行を勧められたとしても、苦行を実際に実行されないことも、あり得たかも知れない。その場合,釈尊の苦行に対する態度がはつきりせず,仏教の苦行に対する態度をはつきりすることが、出来なかつたかも知れない。