2006年7月26日水曜日

ドーゲン・サンガ(1)萌芽

私と仏道
私は現在86才となつているけれども、過去のことを振り返る度に、何か非常に恵まれた人生に巡り会えたのでは無いと云う感想を持つ。何故かというと今日、世界の多数の人々の間には、この世の中にさまざまの相対的な真実があるかも知れないけれども、たつた一つの絶対的な真実は、存在しないのではないかと云うという考え方が、意外に多いように思う。勿論、例えばイスラムの世界では、やはりたつた一つの真実を信じている人々が、圧倒的に多いのであろうけれども、それ以外の世界で、一体どの程度の人々が、たつた一つの真実を考えているのかという事を考えてみると、意外に少ないのではないと思う。実際に自分自身のことを振り替えつて見ても、幼少の頃にはこの問題について、全く無知であつた。しかし86年というやや長い歳月を費やして、釈尊の教えを勉強し、その内容の一切がはつきりして来ると、そのようなたつた一つの真実に巡り会い、その一つの真実について、ブログを通じて単に日本だけでなく世界に向かつて、釈尊の説かれた教えを説く事が出来るようになつた自分を大変幸せであると思う。そこで今回からはそのような意味で、私がどのような経緯を経てドーゲン・サンガを設立し、どのような積み上げを経て今日に至り、今後どのような形でその将来を考えているかという事を考えて見たい。
私の育つた家庭は、必ずしもそう極端に宗教的な家庭ではなかつた。勿論その当時の日本における習俗に従がつて、父親は毎月1日には室内に設けられた小さな神棚を掃除し、榊や水を取り替え、お神酒を上げて柏手を打つという習慣があつたから、自分もそれにならつて柏手を打つというようなことを真似していた。しかしそれほど強い宗教心が有つたようには思えない。母も近くにあつた富士神社に参拝するのが好きで、屡出向いていたようではあつたけれども、特に特別の信仰があつた訳ではなかつたように思う。
したがつて私も17歳になる辺りまでは、特に宗教について強い関心を持つ事がなかつた。然し乍ら日本がやがて第二次世界大戦に突入する2、3年前に宗教的な問題が、俄に登場することとなつた。何故かというと、当時日本は長年に亘つて培かつて来た右翼的な軍国主義が非常に盛んとなり、国内の思想が殆どそれ一つに統一されるような形勢となつて来た。しかしその反面、カール・マルクスやレーニンの思想に共鳴して、日本国内においても共産主義革命を起こすべきであるという考え方の下に、非合法的に地下活動を企図している少数の人々による活動もあり、右翼的な軍国主義と左翼的な共産主義とのどちらが正しくて、どちらに組することが正しいのかを結着させることが、全く不可能であつた。
そこで偶々1940年の10月に栃木県の大中寺で行われた沢木興道老師の坐禅会において、沢木老師の「右翼も間違い、左翼も間違い」という仏道の立場からの断言を聞き、観念論の右翼と唯物論の左翼と両方を排除した佛教的な中道思想の中に、本当の真実があるのかも知れないということに気が付いた。