坐禅(4)日常生活と坐禅
(毎日実行)坐禅は必ず毎日やらなければ意味がない。何故かというと、坐禅をやつた日は自律神経がバランスするけれども、坐禅をしなかつた日は自律神経がバランスしない。したがつて、もしもわれわれが日によつて、坐禅をしたりしなかつたりすると、自律神経のバランスしている日と自律神経のバランスしていない日とが、交互に現れることとなるから、坐禅をやることがわれわれの日常生活を不安定にし、マイナスを与えるように錯覚させる場合がある。したがつて坐禅を始めた場合は努力して、毎日出来る習慣を付けなければならない。
(1日に2回は必ず実行)坐禅の修行は、自律神経をバランスさせる修行であるから、出来るだけ頻繁に実行することが望ましい。したがつて道元禅師も、永平清規(えいへいしんぎ)の中の弁道法という著作において、一日4回の坐禅を勧めておられる。それは早朝(後夜ーごや)の坐禅と、朝食後(早晨ーそうしん)の坐禅と、昼食後(哺時ーほじ)の坐禅と、夕方(黄昏ーおうこん)の坐禅とである。したがつてわれわれも、道元禅師の弁道法における本来の指示に従うべきであるが、道元禅師が生きられた13世紀の社会と、現にわれわれが生活している21世紀の社会とを比較して見ると、大きな違いが認められる。それは何かというと、13世紀と21世紀とにおける世界の文化体制、経済体制、社会体制の変化である。13世紀において道元禅師は、農業生産を中心とする封建制社会に住んでおられた。しかし現にわれわれは21世紀における資本主義経済の真つ唯中に生きている。そして資本主義の経済体制の中で生きている以上、われわれがそのような経済体制の中で生きて行くためには、それに見合う経済生活を支えるだけの金銭収入を、何らかの形で確保する必要がある。そのような観点から21世紀の現在における坐禅生活の在り方を考えて見ると、何が可能かという現実の限界がはつきりして来るのであつて、私はドーゲン・サンガに帰属しているわれわれとしては、1日2回の坐禅を励行するべきであるという考え方を持つている。
また1回の坐禅における時間の長さについても、どの程度に決めるべきかという問題があるけれども、これも当事者の判断により、また熟練の難易度により、15分、30分、45分など、環境に合わせて、自由に決める事が出来る。勿論特別の坐禅会その他で、特別に長時間坐る事も結構なことであるが、坐禅会の終わつた翌日なども、必ず坐禅を励行するべきであつて、休むことは許されない。
(場所)坐禅をする場所については、普勧坐禅儀の中に「静室(じょうしつ)宜しく」と書かれているから、成る可く静かな場所がよい。しかし特別に静かな山奥でなければならない等ということはない。またその広さも、正法眼蔵坐禅儀の中に「容身の地を護持すべし」と書かれているから、一人宛の人の坐れる場所があれば、充分である。
(服装)服装についても、特にこだわる必要はない。しかし釈尊の時代から使われているお袈裟に関しては、釈尊以来の伝統であるから、なるべく守りたいと思う。また実際に掛けてみると、大変気持ちのよいものであるから、在家の人々も遠慮することなしに、掛けることが望ましいと思う。但しお袈裟屋さんに注文すると、常識はずれに高いものであるから、化繊の布地のものを選んだり、ミシン縫いのものを選んだりする方がよいと思う。私はお袈裟を作るには、必ず手縫いでなければならないという考え方を持つていない。佛教書専門の大法輪閣という出版社から、「お袈裟の研究」という本が出ていて、お袈裟の作り方が詳しく書かれているので、熱心な人は自分自身で作れるし、ドーゲン・サンガの中にも、実際に作れる人が何人かおり、有志の人によつて実際に作る会も開かれているから、訊ねて見るとよいと思う。但し其処ではまだミシンで縫うことは、始まつていないと思う。
(1日に2回は必ず実行)坐禅の修行は、自律神経をバランスさせる修行であるから、出来るだけ頻繁に実行することが望ましい。したがつて道元禅師も、永平清規(えいへいしんぎ)の中の弁道法という著作において、一日4回の坐禅を勧めておられる。それは早朝(後夜ーごや)の坐禅と、朝食後(早晨ーそうしん)の坐禅と、昼食後(哺時ーほじ)の坐禅と、夕方(黄昏ーおうこん)の坐禅とである。したがつてわれわれも、道元禅師の弁道法における本来の指示に従うべきであるが、道元禅師が生きられた13世紀の社会と、現にわれわれが生活している21世紀の社会とを比較して見ると、大きな違いが認められる。それは何かというと、13世紀と21世紀とにおける世界の文化体制、経済体制、社会体制の変化である。13世紀において道元禅師は、農業生産を中心とする封建制社会に住んでおられた。しかし現にわれわれは21世紀における資本主義経済の真つ唯中に生きている。そして資本主義の経済体制の中で生きている以上、われわれがそのような経済体制の中で生きて行くためには、それに見合う経済生活を支えるだけの金銭収入を、何らかの形で確保する必要がある。そのような観点から21世紀の現在における坐禅生活の在り方を考えて見ると、何が可能かという現実の限界がはつきりして来るのであつて、私はドーゲン・サンガに帰属しているわれわれとしては、1日2回の坐禅を励行するべきであるという考え方を持つている。
また1回の坐禅における時間の長さについても、どの程度に決めるべきかという問題があるけれども、これも当事者の判断により、また熟練の難易度により、15分、30分、45分など、環境に合わせて、自由に決める事が出来る。勿論特別の坐禅会その他で、特別に長時間坐る事も結構なことであるが、坐禅会の終わつた翌日なども、必ず坐禅を励行するべきであつて、休むことは許されない。
(場所)坐禅をする場所については、普勧坐禅儀の中に「静室(じょうしつ)宜しく」と書かれているから、成る可く静かな場所がよい。しかし特別に静かな山奥でなければならない等ということはない。またその広さも、正法眼蔵坐禅儀の中に「容身の地を護持すべし」と書かれているから、一人宛の人の坐れる場所があれば、充分である。
(服装)服装についても、特にこだわる必要はない。しかし釈尊の時代から使われているお袈裟に関しては、釈尊以来の伝統であるから、なるべく守りたいと思う。また実際に掛けてみると、大変気持ちのよいものであるから、在家の人々も遠慮することなしに、掛けることが望ましいと思う。但しお袈裟屋さんに注文すると、常識はずれに高いものであるから、化繊の布地のものを選んだり、ミシン縫いのものを選んだりする方がよいと思う。私はお袈裟を作るには、必ず手縫いでなければならないという考え方を持つていない。佛教書専門の大法輪閣という出版社から、「お袈裟の研究」という本が出ていて、お袈裟の作り方が詳しく書かれているので、熱心な人は自分自身で作れるし、ドーゲン・サンガの中にも、実際に作れる人が何人かおり、有志の人によつて実際に作る会も開かれているから、訊ねて見るとよいと思う。但し其処ではまだミシンで縫うことは、始まつていないと思う。
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