2010年5月5日水曜日

第十三章 現実の行いに関する検証(8頌)

第一頌

具体的な事実が何の目標も持たず,盗賊の規則である場合には、

威厳が有ると云われる人々も、あまり物事を喋らない人々である。

一切のものに関連して、盗賊の規則が行き渡つて居り、

一切のものを一つに纏める事は、具体的な事実に依るのであり、具体的な事実とは不正の意味である。


第二頌

具体的な事実が不正で有り、盗賊の規則である場合には、

その際、その場所に有る何が一体奪われるので有ろう。

其れは此の場所に於いて語られた尊敬すべきものを活用し、

自律神経のバランスした状態に頼つて、周囲を照らす事である。


第三頌

様々の存在の中に帰属して居ると云う事は、特異性が無い事を示して居る。

其れ以外の方法が存在し無いと云う事は、唯展示するだけの方法しか持つて居ないと云う事で有り、

生まれ付きの性質で無いものを持つて居ないと云う事は、正に存在するものとして唯其処に有ると云うだけの事で有る。

様々の存在の中で、唯自律神経のバランスした状態だけが前進する。


第四頌

此の世の中以外の世界に存在して居るものは,一体どの様な世界に所属して居るので有ろう。

主観的な存在と呼ばれるものは、認識の対象と成らない。

此の世の中以外の世界に存在して居るものは,一体どの様な世界に所属して居るので有ろう。

或る場合には、主観的な存在が認識の対象と成つて居る。


第五頌

正に具体的な事実に帰属して居るものは、別の世界に帰属して居る存在では有り得無い。

況して別の世界に帰属して居る存在が,此の世の中に於ける他のものと混同を起こす様な事態は、絶対に起こり得無い。

その様な事情から、若い人は老齢化する事に屈辱を感じる。

従つて彼等は老齢化する状態を屈辱として感ずる。


第六頌

具体的な状況と他の世界に於ける存在とは、

牛乳とヨーグルトとが丁度同じ様に存在する事が出来るのと似て居る。

牛乳とは違う何かが有り得る。

従つてヨーグルトの場合でも、事後の存在が有つたとしても、決して不思議では無い。


第七頌

自律神経のバランスして居ない状態が、ほんの僅かでも存在するとするならば、

恐らく自律神経のバランスした状態も、やはりほんの僅かでも存在して居る筈で有る。

若しも自律神経のバランスして居ない状態が、全く実在して居ないとするならば、

自律神経のバランスして居る状態も、将来と云えども何処にも有り得無い。


第八頌

自律神経のバランスした状態とは、一切を直観的に捉える判断能力であり、

様々の発言内容も不安定なものでは無く、真実を得た人々のそれで有る。

その様に様々のものが、全て自律神経のバランスした状態に於ける見解で有るから、

何事も管理された状態では無しに、公表する事が出来る。