2010年4月28日水曜日

第十一章 人生の始期と終期とに関する検証(8頌)

第一頌

人生に於ける始期と終期との意味が、はつきりと解る以前に於いては、

偉大な聖者は、まだ何も宣言して居られない。

人生に於ける浮き沈みは、その出発点に決して劣つて居ないので有るから、

馬や牛を制御する手綱その他も、決して後順位に置かれるべき性質のものでは無い。


第二頌

その様な部類のものに属して居る場合、最優秀のものでは決して無いけれども、劣つて居るものでも決して無い。

その様な分類の中で具体的に中間的なものは、一体何処に帰属して居るので有ろう。

その様な状況の場合、その様な場所に於いては、何事も起こり難い。

激しい辛抱の前か後に、唯前進が有るだけの事で有る。


第三頌

誕生以前にも、犠牲の捧げものが有り得るし、

老化も死滅も、未来の事に属する。

様々の不老や様々の死滅も、一種の誕生であり、

誰かの誕生を乞い願がつて居る事も、不滅であると云える。


第四頌

将来、誕生が存在する場合には、

老齢や死滅も、その他の具体的な事実である。

不合理な事は将来と云えども、恐らく実際に起こる事が無いので有ろうから、

老化とか死滅とかと云うものは、一体何なので有ろう。


第五頌

老化と死滅とは、決して同じでは無い。

誕生も実際には全てのものと同じ様に、縛られて居る。

死ぬ事を希望すると云う事は、父親が子を持つ事を希望する事と同じで有り、

恐らく実際には、理屈に合わない二つの方法の両方に頼る事であろう。


第六頌

その様な近くの場所に於いては、何も見えて来ない。

先の場合も有れば遅れた場合も有るけれども、全てが一緒に揃つて前進して居る。

様々の事物やその出発を早める事は、具体的な事実であり、

具体的に老齢化したり死去したりする事は、一体何で有ろう。


第七頌

作られたものとその作られた原因とは、全く同じもので有り、

その直接の表現と目標とは、正に同じもので有る。

公表する事と周知させる事とは、正に同じものとして実在するし、

そうする事に依る目的は、正に言葉では表現する事の出来ない何かで有る。


第八頌

人生の始期と終期とは、事前に認識する事が出来ない。

人生に於ける浮き沈みの中で、純粋に自分自身に帰属して居るものは無い。

一切の活気と強さとを持つ事の出来る可能性さえ、存在して居るにも拘らず、

人生の始期と終期との外側を認識する事は、不可能で有る。










第六頌

其の場合、様々の状況が徐々に近ずいて来る事を意味して居る訳では無い。

事前に或は事後に、様々の前進が一斉に有り得るので有る。

様々の事実や様々の誕生を、具体的な事実として拡大させる事が可能であり、

其の場合、具体的な老齢化とか死去とかは、一体何を意味する事に成るので有ろう。


第七頌