2006年10月31日火曜日

学道用心集(7)第六 参禅に知る可(べ)き事

右、参禅(さんぜん)学道(がくどう)は一生の大事なり、忽(ゆるが)せにす可(べ)からず。
豈(あ)に卒爾(そつじ)ならんや。
古人、臂(ひじ)を断(た)ち指(ゆび)を斬(き)る、神丹(しんだん)の勝躅(しょうちょく)
なり。
昔(むかし)仏(ほとけ)、家を捨(す)て国を捨(す)つ、行道(ぎょうどう)の遺蹤(ゆいし
ょう)なり。
今人云く、行(ぎょう)じ易(やす)きの行を行ずべしと。
此(こ)の言(ごん)尤(もっと)も非(ひ)なり、太(はなは)だ仏道に合(かな)わず。
若し事(こと)を専(もっぱ)らにして以つて行(ぎょう)に擬(ぎ)せば、偃臥(えんが)も猶(
な)お懶(ものう)し。
一事に懶(ものう)ければ万事(ばんじ)に懶(ものう)し。
易(やすき)を好むの人は、自(おの)ずから道器(どうき)に非(あら)ざることを知る。
況や今世(こんぜ)流布(るふ)の法は、此れ乃ち釋迦(しゃか)大師(だいし)、無量(むり
ょう)劫来(こうらい)、難行(なんぎょう)苦行(くぎょう)して、然して後乃ち此の法を
得たり。
本源(ほんげん)既に爾(しか)り。
流派(りゅうは)豈(あ)に易(やす)かる可(べ)けんや。
道(どう)を好むの士は易行(いぎょう)に志すこと莫(なか)れ。
若し易行を求むれば、定(さだ)んで実地(じっち)に達せず、必ず宝所(ほうじょ)に到ら
ざる者か。
古人、大力量(だいりきりょう)を具(ぐ)するすら、尚おし言わく、行じ難しと。
識(し)る(可)べし仏道の深大(じんだい)なることを。
若し仏道本より行じ易き者ならば、古来大力量の士、難行難解(なんげ)と言う可(べ)からず。
今人(こんじん)を以つて古人に比するに、九牛(きゅうぎゅう)の一毛(もう)にも及ばず。
而るに此の少根(しょうこん)薄識(はくしき)を以つて、縦ひ力を励(はげ)まして、難行能
行(のうぎょう)に擬(ぎ)するも、猶(な)お古人の易行(いぎょう)易解(いげ)にも及ぶ可(べ)
からず。
今人の好む所の易解易行の法とは、其れ是れ何ぞや。
已(すで)に世法に非ず、又(た)仏法に非ず、未だ天魔(てんま)波旬(はじゅん)の行(ぎょう)
にも及ばず、未だ外道(げどう)二乗(にじょう)の行にも及ばず、凡夫(ぼんぷ)迷妄(めい
もう)の甚だしきと云う可きか。
縦(たと)ひ出離(しゅつり)に擬(ぎ)すと雖(いえど)も、還(かへ)って是れ無窮(むきゅ
う)の輪廻(りんね)なり。
其の骨(ほね)を折り髄(ずい)を砕(くだ)くを観(み)るに、亦た難からずや、心操(しん
そう)を調(ととの)ふの事尤(もっと)も難し。
長斎(ちょうさい)梵行(ぼんぎょう)も、亦た難からずや、身行(しんぎょう)を調(ととの)うるの事
尤(もつと)も難し。
若し粉骨(ふんこつ)貴ぶべくんば、之を忍(しの)ぶ者昔より多しと雖も、得法(とくほ
う)の者惟(こ)れ少なし。
斎行(さいぎょう)の者貴ぶ可(べ)くんば、古(いにしえ)より多しと雖も、悟道(ごどう)の者
惟(こ)れ少なし。
是れ乃ち心を調(ととの)うること甚だ難(かた)きが故なり。
聡明(そうめい)を先(さき)と為(せ)ず、学解(がくげ)を先と為(せ)ず、心意識(しんい
しき)先と為(せ)ず、念想観(ねんそうかん)先と為(せ)ず、向来(こうらい)都(すべ
)て之(これ)を用いずして、身心を調へて以つて仏道に入るなり。
釋迦(しゃか)老師(ろうし)の云(い)わく、観音(かんのん)流(ながれ)を入(かえ)し
て所知(しょち)を亡(ぼう)ずと、即(すなわ)ちこの意なり。
動静(どうじょう)の二相(そう)、了然(りょうねん)として生ぜず、即(すなわ)ちこの調
(ちょう)なり。
若し聡明(そうめい)博解(はくげ)を以つて、仏道に入る可(べ)くんば、神秀(じんしゅう)上座
(じょうざ)其の人なり。
若し庸体(ようたい)卑賤(ひせん)を以つて、仏道を嫌うべくんば、曹渓(そうけい)の高祖
(こうそ)豈に敢(あ)えてせんや。
仏道を伝へ得(う)るの法は、聡明博解の外(ほか)に在ること、是(ここ)に於いて明かなり

探(さぐ)って尋(たず)ぬ可(べ)く、顧(かえり)みて参ず可(べ)し。
又(た)年老耄及(ねんろうぼうきゅう)を嫌(きら)わず。
又た幼稚(ようち)壮齢(そうれい)を嫌わず。
趙州(じょうしゅう)は六旬(じゅん)余にして始めて参ず、然りと雖も祖席(そせき)の英雄
たり。
鄭娘(ていじょう)は十二歳にして久学(きゅうがく)す、能く又た叢林(そうりん)の抜萃(
ばっすい)なり。
仏法の威(い)は、加(か)と不加(ふか)とに見(あら)はれ、参と不参(ふさん)とに分かる。
或いは教家(きょうけ)の久習(くじゅう)、或いは世典(せてん)の旧才(くさい)も、皆な
禅門を訪(と)うべし。
其の例是れ多し。
南岳(なんがく)の慧思(えし)は多才の人なり、尚お達磨(だるま)に参ず、永嘉(ようか)の
玄覚(げんかく)は秀逸(しゅういつ)の士なり、已(すで)に大鑑(だいかん)に参ず。
法を明(あき)らめ、道を得ること、参師の力(ちから)為(た)る可(べ)し。
但だ宗(しゅうし)師に参問(さんもん)するの時、師の説(せつ)を聞いて、己見(こけん)
に同(どう)ずること勿(な)かれ。
若し己見に同ずれば、師の法を得ざるなり。
参師(さんし)問法(もんぽう)の時、身心を浄(きよ)らかにし、眼耳(げんに)を静かにし
て、唯だ師の法を聴受(ちょうじゅ)し、更に余念(よねん)を交(まじ)えざれ。
身心一如(しんじんいちにょ)にして、水を器(うつわ)に瀉(そそ)ぐが如し。
若し能く是(かく)の如くならば、方(まさ)に師の法を得るなり。
今、愚魯(ぐろ)の輩(やから)、或いは文籍(もんじゃく)を記(き)し、或いは先聞(
せんもん)を蘊(つつ)み、以つて師の説に同(どう)ず。
此の時唯だ己見(こけん)古語(こご)のみありて、師の言(げん)未だ契(かな)わず。
或いは一類(いちるい)あり、己見を先と為(な)して、経卷(きょうかん)を披(ひら)き、一両語(いちり
ょうご)を記持(きじ)して、以つて仏法と為(な)す。
後に明師(めいし)宗匠(しゅうしょう)に参じて、法を聞くの時、若し己見に同ぜば是(
ぜ)と為(な)し、若し旧意(きゅうい)に合(かな)はずんば非(ひ)と為す。
邪を捨(すつ)る方(ほう)を知らず、豈に正(しょう)に帰するの道(どう)に登(のぼ)ら
んや。
縦(たと)え塵沙劫(じんじゃごう)も尚お迷者(めいじゃ)たらん、尤も哀(あわれ)むべし
、之れを悲しまざらんや。
参学識(し)るべし、仏道は、思量(しりょう)、分別(ふんべつ)、卜度(ぼくたく)、観想
(かんそう)、知覚(ちかく)、慧解(えげ)の外(ほか)に在ることを。
若し此(こ)れ等(ら)の際(さい)に在らば、生来(しょうらい)常に此れ等の中に在りて、
常に此れ等を翫(もてあ)そぶ、何が故ぞ今に仏道を覚(かく)せざるや。
学道は、思量分別(ふんべつ)等の事を用いる可(べ)からず。
常に思量等を帯(お)ぶる、吾が身を以つて検点(けんてん)せば、是(ここ)に於いて明鑑(めい
かん)なる者なり。
其の所入(しょにゅう)の門は、得法の宗匠(しゅうしょう)のみありて之を悉(つまび)ら
かにす。
文字(もんじ)法師(ほっし)の及ぶ所に非ざるのみ。
天福甲午清明(てんぷくこうごせいめい)の日書す。

(現代語訳)

上記表題の意味は、坐禅をし仏道を勉強することは、人間の一生における最大の重要課題であるから、軽く考えてはならないという事である。
どうして軽率に取り扱う事が出来よう。
過去の先輩方が、慧可大師の場合は腕を切り、倶てい和尚の場合は指を切るような激しさであつたけれども、何れも中国における優れた例である。
嘗て釈尊も、家庭生活を捨て国家を捨てたけれども、仏道修行に関する優れた例である。
現代の人々は、実行し易い修行を実行すべきであると云う。
しかしこの言葉は非常に間違つている。極めて仏道には適合しない。
若しも一つの事を単独に選んで、それを修行として実行して行こうとするならば、それが横になつて寝るような動作であつても、退屈を感じて続かないものである。
そして一つの事について退屈するようであるならば、何をやつても退屈することであろう。
易しい事をやりたがる人は、本来仏道修行に向いていない人であると云う事が出来る。
況して現在この世の中に行き渡つて居る釈尊の教えは、偉大な師匠である釈尊が、無限の過去から難行苦行を重ねて、その結果、この教えを得たものである。
仏道の本源である釈尊ご自身が、既にそのような実情である。
その流派の流れを汲むわれわれの修行が、安易である筈がない。
真実を愛好する人は、易しい修行に引かれてはならない。
もしも易しい修行を期待した場合には、例外無しに真実の境涯に到達する事が出来ず、決して宝の山には入ることが出来ないであろう。
過去の祖師方で非常に大きな力量を持つておられた方々でさえ、やはり修行は難しいと云われている。
そのような事例から、釈尊の教えが如何に深く大きいかが分かる。
仮に釈尊の教えが、本来修行し易いものであるならば、昔から非常に大きな力量を具えた方々が、釈尊の教えは、修行することが難しく理解することが難しいと云われる筈がない。
現代人の力量を過去の祖師方の力量と比較した場合、九匹の牛の全ての毛とたつた一本の毛とを比較した場合でさえ、過去の祖師方の力量と現代人の力量との相違を表わすことが出来ない。
そのような事情から、われわれのような素質も乏しく知識も少ない力量を使つて、仮に力を尽くして難行を実行しそれを成し遂げた過去の祖師方と比較した場合、われわれの努力は、過去の祖師方の易しい修行や易しい理解にさえ及ばない。
現代人が好む処の易しい理解とか易しい修行とかの教えとは、一体、何を指して居るのであろうか。
そのような教えは、既に世俗の教えとも違つているし、釈尊の教えとも違つているし、理想世界における悪魔や地上世界における悪魔の修行から見ても劣つており、佛教を信じない人々や、唯、理論的に佛教を勉強したり、唯、環境だけを大切にして佛教を勉強している人々にも及ばない。それらの人々は、一般の人々の間でも、特に迷いや誤解の甚だしい人々と云う事が云えるであろうか。
仮にそれらの人々が、家庭生活を離れ俗世間から出ようとしても、そのことは逆に無限の苦しい境涯を続けることになつてしまう。
過去の祖師方が、骨を折つたり骨髄を砕いたりした例を観察した場合、それらの例が難しくないという事では決してない。
しかし何が難しいかと考えた場合、心のバランスを調整する事くらい難しい事は無い。
長い期間に亘つて生活の規律を守り清らかな行いを続ける事も、決して難しくない訳ではないが、身体を使つて実行する行いを調整することが最も難しい。
仮に骨を砕く事に価値があるならば、そのような行いを我慢する人は、昔から多いけれども、釈尊の教えを自分のものにした人々の数は、極めて少ない。
日常生活における行いの調和を保つ事に価値があるのであるならば、昔からそれの出来た人は多いけれども、釈尊の教えの真実を得た人は誠に少ない。
そしてこのような事実は人々にとつて、心を整えることが非常に難しい事と関係している。
耳がよく聞こえるとか眼がよく見えるとかという事が、最も大切な事ではないし、学問に対する理解が最も大切だという事でも決してない。心、意欲、意識が最も大切だという訳でもなければ、想念や思考や直観が最も大切であるということでも決してない。上に挙げたような心の働きを全て使わずに、身体と心とをバランスさせる事によつて、釈尊のお説きになつた教えの世界に入つて行くのである。
偉大な師匠である釈尊が、「観世音菩薩は物事に対する考え方を完全に入れ換えて、知識の世界を乗り越えた」と云われているけれども、その内容は上記のような意味である。
活動的な要素と静止的な要素とが完全にバランスして、どちらの要素も全く表面に出て来ない状態が、正にこのバランスした状態の実体である。
もしも耳がよく聞こえるとか眼がよく見えるとか、理解が広いとかという能力を基礎にして、釈尊の説かれた教えに入つて行くことが出来るのであるならば、神秀上座が大鑑慧能禅師の跡を継ぐべき人材であつたであろう。
もしも身体が平凡な体格であり、卑しく見窄らしい様子をしている事を釈尊の教えが嫌うならば、大鑑慧能禅師が大満弘忍禅師の跡を継ぐ筈がない。
釈尊の教えを伝える事の原則が、耳がよいとか眼がよく見えるとか理解が広いとかという事実とは、別の問題であることが、このような事実からはつきりしている。
そのような事実は、探せば見つかるものであるから、それらを参考にして坐禅をするべきである。
また仏道においては、老齢であるとか老衰しているというような事実を嫌わない。また年齢が幼少であるとか、壮年であることを嫌わない。
趙州従諗禅師は六十歳を過ぎてから、始めて仏道修行に参加したけれども、達磨大師の系統における優れて力強い人物となつた。
また鄭家の娘で鄭娘と呼ばれた人物は、十二歳ではあつたけれども、既に長らく佛道を勉強しており、仏道修行の寺院でも、極めて優れた人物であつた。
釈尊の教えに伴う威厳は、その人が実際に体験しているか居ないかによつてはつきりと見えて来るし、実際に経験しているか居ないかによつて、はつきりと分かれて来る。
ある場合には理論的な佛教における長年の研究者や、ある場合には世俗の学問に置ける長年月の学者も、坐禅の修行をする寺院を訪ねるべきである。
またその実例も多い。
南岳の慧思禅師は、非常に広般な能力の持ち主であつたけれども、やはり達磨大師に弟子入りした。
また永嘉の玄覚大師は非常に優れた人物ではあつたけれども、やはり大鑑慧能禅師に弟子入りした。
釈尊の教えをはつきりと理解して真実を得るに当たつては、やはり師匠について学ぶことの意味が大きいであろう。
ただし根本思想の師匠に就いて学問を勉強する際に、師匠の説を聞いてそれを自分の見解に同調させてはならない。
もしも師匠の説を自分の説に同調させてしまうならば、師匠の教えを自分のものにすることが出来なくなつてしまうのである。
師匠に従つて釈尊の教えを勉強する場合には、身体も心も清らかにし、眼や耳を冷静にして、専ら師匠の教えだけを注意して聞き、それ以外の考えを紛れ込ませてはならない。
身体と心とが完全に融け合つて、一つの器の水を他の器の中に全て移すのと同じように、師匠の教えを残す事無く自分の思想の中に移すべきである。
もしもこのような事が実際に出来るならば、その時はまさしく師匠の教えを自分のものにする事が出来るのである。
現在においては、愚かでのろまな人々がある場合には書物を書き、ある場合には過去において聞いた事を覚えて居て、それらの知識を師匠の教えの中に混ぜてしまう。
此の場合には、自分自身の考え方と古い昔の言葉だけが残つてしまい、師匠の教えに就いては未だ充分な納得がいつていない。
ある場合には一群の人々が居て、自分自身の考えだけを優先させて、経巻などを開き、一つ二つの短い言葉を記憶して、それを釈尊の教えとして強調する。
その後に充分に理解の進んだ師匠や宗門の師匠に弟子入りして、釈尊の教えを聞く場合でも、もしもそれが自分自身の考えと一致している時には正しいと認定し、自分自身が古くから持つて居る考え方に適合しない場合、それを否定する。
その場合には間違つている教えを捨てる方法が分かつていないのであるから、どうして正しい教えに行き着く道を登つて行くことが出来よう。
たとえ無限の長期間に亘つて仏道修行をしたとしても、結局は迷つた人間として一生を終わるであろう。大変哀れな話である。此の事を悲しまない人が何処にあり得るであろう。
仏道を学ぶ人々は知るべきである。仏道は思考、判断、想像、直観、感覚、理解以外の処に在ることを。
もしも仏道が思考、判断その他の中にあるとするならば、この世に生まれてから何時も思考、判断等の中に住んでおり、何時も思考、判断その他と遊び戯れているような普通の人々が、何故何時迄経つても仏道をしつかりと掴むことが出来ないのであろうか。
仏道を勉強するに当つては、思考や判断等の手段を使つてはならない。
何時も頭の中で何かを考えたり判断したりしているわれわれ自身の実体を、細かく観察して見ると、現実の時点における実際の実情は、曇りのない鏡に映すように極めてはつきりしている。
そのような境地に入つて行く糸口は、宇宙の秩序を完全に自分のものにした師匠がいて、それらの師匠だけが、そのような事実を充分に知つて居る。
文字だけを勉強している理論的な佛教の師匠には、手のとどく境地では決してない。
一二三四年の春分の日から十五日目の日に、これを書き記した。

(解説)

この章においては、まず坐禅をし仏道の勉強をすることが、人生に置ける最大課題であることが説かれている。しかしそのような考え方を、この現実の世界において、一体何人の人が正しいと信じているであろうか。ある人々は社会的な地位が一段でも高くなることに狂奔し、ある人々はほんの一圓でも多い金銭収入に命を掛けている。そのような人間社会の実情の中で、われわれは果たして真実の存在を確信出来るであろうか。勿論人間社会の思想が観念論と唯物論とに分裂し、たつた一つの真実を確信することの出来ない時代においては、その事は不可能であつた。しかし釈尊の説かれた実在論を信じ、たつた一つの真実を信ずる佛教的な実在論の立場に立つならば、たつた一つの真実を追求する可能性が生まれて来る。したがつてもしもわれわれ人類が、たつた一つの真実の存在することを信じ、真剣にたつた一つの真実を追求する為には、従来われわれが信じて来た観念論と唯物論の撲滅が、先ず最初の重要課題であることを知らなければならない。

次にこの章においては、易しい修行を志すことが戒められている。云うでもなく仏道は苦行の教えではないから、苦しみを求める修行ではない。しかしそれと同時に、修行における難易に拘わつて、修行の選択をすることの誤りが説かれている。仏道修行は難易を超越した真実であるから、修行の出發に当つてその難易に関して議論することは、真理を探究する出發点において、真理の探究を放棄する態度を意味する事が説かれている。

そして更にこの章においては、真理の把握が、思考や判断や推測や直観や感覚や理解と無関係であることが説かれている。そして此の主張は何千年にも亘つて、理知の世界における真実を追求して来た今日における中心思想の立場から考えた場合、想像する事さえ困難な暴論として受け取らざるを得ない。しかし観念論と唯物論との二大思想を史実の座から引きずり下ろし、それに替わる行為の哲学を基礎として、新しい実在論を主張した佛教の立場からするならば、上記の主張は避ける事の出来ない当然の前提であつて、坐禅の修行を中心とした自律神経のバランスが、佛教的な実在論の根拠として登場して来る事を認めざるを得ない。この事実は釈尊誕生の以前から、厳然とした真実として宇宙の中に存在した事実ではあるけれども、科学的な裏付けは十九世紀、二十世紀以降に確立されたものである。したがつてそのような時代に生きることの出来たわれわれとしては、その幸せに感謝すべきであろう。

したがつて仏道修行は、文字や言葉だけによつて勉強すべきものではなく、坐禅のような行いを通して自律神経をバランスさせるのでなければ、真実に触れる事が出来ない。近年人類社会の中でも、身心の鍛錬を目的としたスポーツや、音楽の演奏や、演劇や、科学の分野における膨大な実験やフィールド・ワーク等に見られるように、文化の中心が現実主義の時代に既に突入し始めたことを物語るものであつて、今後人類の文化が観念論と唯物論との束縛を脱して、太陽が燦々と輝く現実主義の黄金時代を迎える事を、期待すること
が出来るように思う。