2009年3月14日土曜日

仏道讃歌(4)行為の哲学

四諦の教えにおける最初の哲学は観念論哲学であり、二番目の哲学は唯物論哲学であるけれども、釈尊は観念論哲学は人間が頭の中で考えた哲学であり、唯物論は人間が眼や耳の様な感覚器官を通じて受け入れた外界からの刺激を基礎にして、やはり頭の中で考えた哲学であるから、決してわれわれが現に今生きて居る現実の世界を説き明かす哲学には成り得ないということに気が付いた。

釈尊は、われわれ人類が現に今生きて居る世界は、思考の世界でもなく、感覚の世界でもなく、現実の世界であり、行いの世界であり、われわれ人類が生きる事を許されて居る唯一の世界である事に気付いた。そして人類が現に今生きて居る現実の世界における実体として,現在の瞬間に於ける行為そのものを,人類の思考や感覚とは別個の現実の世界として掌握した。

古代インドにおいては、紀元前13〜12世紀の頃から、観念論哲学を基礎とするバラモンの教えが、民衆の心を捉えたのであるが、釈尊が世に出られた5世紀前後の時代には六師外道と呼ばれる6人の懐疑論乃至唯物論を主張する思想家が現れ,バラモンの教えと激しく対立して居た。

したがつて釈尊は、観念論を信じて居るバラモンの教えと六師外道と呼ばれる懐疑論乃至唯物論を主張する6人の思想家とのどちらが正しいかを検討されたが、結論として何れの立場にも組する事が正しくない事に気付き、観念論と唯物論との両方を否定して、現在の瞬間における個人の行いを実在とし、宇宙全体を実在とする仏教哲学を確立した。

釈尊の実在論に依るならば、われわれが絶えず与えられて居る現在の瞬間における行いが実在そのものであり、宇宙そのものである。宇宙とはわれわれが現在の瞬間に於いて実行して居る行いそのものである。このような基礎に立つて釈尊はわれわれの日常生活に於ける現在の瞬間の行いが,現実そのものであり宇宙そのものである事を主張した。