2008年10月19日日曜日

仏道讃歌(1)真実の把握

1)真実の把握

こんにち真実などと云えば

大抵の人が笑う

この馬鹿は21世紀の今日に至つても

真実の存在を信じて居るのかと

しかし私はそうは思わない

もしもこの世の中に真実が無かつたならば

そのような人生は果たして生存するだけの

価値があるのであろうか


ご飯を食べました,寝ました。ご飯を食べました、寝ました。

もう何万回食べて寝ました。

大したものでしょうと唱えて威張る事が出来るのであろうか。

私は疑問であると思う。


そのような情勢から私はそろそろ人類がたつた一つの真実を求めてもよい時代が近付きつつあるのではないかと考えている。

(19、10,2008)


2)真実を求める本能

私達は幸いにして人間に生まれた為に,

真実を求める本能を持つて居るように思う。

したがつて私はおよそ人間として生まれた者は、

その本能を活用してこの世の中の真実を掴むべきであると思う。

(19、10,2008)



3)仏教哲学の再発見

私は幸いにして1940年の10月に栃木県の大中寺に於いて、

沢木興道老師の坐禅会に参加し、

道元禅師の最初の著作である普勧坐禅儀の講義を拝聴したが、

沢木老師が雷のような大きな声で、

「右翼も間違い、左翼も間違い」と明言しておられるのを拝聴した事が、

仏教哲学の勉強にのめり込んで行く最初のきつかけであつた。


その後毎日坐禅をするような生活を始める事となり、

やがて東京都麻布の永平寺別院や本郷三丁目の東京大学の仏教青年会等でも正法眼蔵その他の講義を始めた。

1973年12月6日静岡市洞慶院に於いて出家し、丹羽廉芳老師の弟子と成り、法名を
愚道和夫とした。

また株式会社井田両国堂の顧問として、役員や社員に対する坐禅の指導や仏道講話を数十年に亘つて実施した。

その間竜樹尊者の書かれた中論をサンスクリツト原典から直接日本語、英語等に翻訳する作業を行い、50年の歳月を必要としたけれども、本年2008年十月に日本語訳を完成した際に、仏教哲学の最終の結論に到達して見ると、紀元前4〜5世紀に釈尊に依つて説かれた仏教思想が、結局の処世界最終の哲学に該当する事を発見した。

したがつてわれわれ人類が長年月に亘つて探し求めて来た真実は、既に紀元前4〜5世紀の時代に釈尊に依つて発見されて居たという事が、歴史的な事実と考えられるのであつて、そのような事実が確認できるようになつた今日、人類は全く新しい角度から仏教哲学を考えるべきであると思う。

幸いにして欧米の文化が数千年の歴史を経て、非常に優れた発達をして居るところから、その見事に発達した欧米の文化を武器として、仏教哲学に必要な解明を行い、単に東洋社会の問題としてではなく、全世界共通の問題として人類最終の真理を確立することが強く要請されて居るのではないかと思う。

(19、10,2008)