開経偈
開経偈は「経典を開く時に唱える詩」の意味であり、通常われわれが佛教の講義を始める際には、必ず唱える詩である。したがつてドーゲン・サンガに置いても、講義を始める前には必ず唱えることとしたい。
開経偈
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義
(読み)
むじょうじんしん みみょうほう ひゃくせんまんごう なんそうぐう
がこんけんもん とくじゅうじ がんげにょらい しんじつぎ
(意味)
釈尊のお説きになつた教えは、最高でしかも非常に意味が深く、極めて繊細で且つ素晴らしい教えである。
それは百、千、万という風に、無限に長い時間が経過しても、出会う事の難しい思想である。
自分は幸いにして、その出会う事の難しい教えに出会い、それを保持する事が出来るようになつた。
何とかして、釈尊が説かれた真実の意味を、理解する事が出来るように成りたい。
(解説)
この詩を仏道の講義を始める前に、講義をする人と講義を聞く人とが、一斉に合掌して唱えることには、大きな意味が有ると思う。
開経偈
無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇 我今見聞得受持 願解如来真実義
(読み)
むじょうじんしん みみょうほう ひゃくせんまんごう なんそうぐう
がこんけんもん とくじゅうじ がんげにょらい しんじつぎ
(意味)
釈尊のお説きになつた教えは、最高でしかも非常に意味が深く、極めて繊細で且つ素晴らしい教えである。
それは百、千、万という風に、無限に長い時間が経過しても、出会う事の難しい思想である。
自分は幸いにして、その出会う事の難しい教えに出会い、それを保持する事が出来るようになつた。
何とかして、釈尊が説かれた真実の意味を、理解する事が出来るように成りたい。
(解説)
この詩を仏道の講義を始める前に、講義をする人と講義を聞く人とが、一斉に合掌して唱えることには、大きな意味が有ると思う。
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