第四章 集合体に関する検証(9頌)
第一頌
あらゆる外界の現象は、物質的な存在であり、個々ばらばらな存在である。
あらゆる外界の現象は、何ものに依つても、所有されて居るものでは無い。
あらゆる外界の現象そのものに依つて、自由であると云う事でも決して無い。
あらゆる外界の現象が、物質的な存在として見えるだけの事である。
第二頌
あらゆる外界の現象は,物質的な存在であり,自由な状態の中に在る。
外界の現象の中に在るとか、外界の現象を作つて居るとかと云う考え方は、拘わり過ぎて居る。
理論的で無いものが、目的として有ると云う事は、決して有り得ない。
合理的でないものは、目標としては何処にも有り得ない。
第三頌
さあ、あらゆる外界の現象に依つて、自由な状態が作られて居る。
そしてその場合には、恐らくあらゆる外界の現象は、物質的な存在であろう。
恐らく実行不可能な性格のものが、物質的な性格として存在して居るのであろう。
しかし実行不可能な状態とか、物質的な性格と呼ばれるようなものは、実際には決して実在して居ないのであろう。
第四頌
あらゆる外界の世界の中に実在して居るものは、正に外界の世界に帰属して居る。
其処には物質的な存在の現れて来る筈が全く有り得無い。
あらゆる外界の世界の中に実在して居ない場合でも、
其処には物質的な存在の現れて来る筈が全く有り得無い。
第五頌
何の根拠も無いものが、やはりあらゆる現象を作り出して居る。
何も全く存在して居ない状態が、何かを生み出すと云う事は、全く存在する事が有り得無い。
従つてあらゆる外界の現象が、何かを作り出すと云う事が云える。
代案を選ぶ事が願望されたと云う事では無い。
第六頌
物質的な存在の中に、正しさは含まれて居ない。
唯、実行可能と呼ばれる状態だけが、現れて来る。
物質的な存在の中には、不正も含まれては居ない。
唯、実行可能と呼ばれる状態だけが、現れて来る。
第七頌
発見の為の行為に於ける心構えは明確な理解であり、
様々の明確な理解と徹底的な態度である。
全般的な態度と同時に、全べてが実際に存在する事である。
正にあらゆる現象に依存して、全ての行為が一斉に実行される事である。
第八頌
何であれ、孤立の対象に成つて居るものは、孤立し勝ちである。
交感神経と副交感神経とが均衡して居る状態を作り出すことが、語り合われて居る。
この世の中の一切のものは、具体的な事物の中で、特に回避された状態には成つて居ないし、
全べてのものは、管理された状態に沿つて、作り出されている。
第九頌
或るものは、その様な説明に依つて、非難の対象と成つて居るけれども、
自律神経のバランスした状態を作り出す事が、語られて居る。
全てのものは、具体的な事実の中に含まれて居り、非難される事が無い。
どんなものでも、管理される事に依つて生まれて来る。
あらゆる外界の現象は、物質的な存在であり、個々ばらばらな存在である。
あらゆる外界の現象は、何ものに依つても、所有されて居るものでは無い。
あらゆる外界の現象そのものに依つて、自由であると云う事でも決して無い。
あらゆる外界の現象が、物質的な存在として見えるだけの事である。
第二頌
あらゆる外界の現象は,物質的な存在であり,自由な状態の中に在る。
外界の現象の中に在るとか、外界の現象を作つて居るとかと云う考え方は、拘わり過ぎて居る。
理論的で無いものが、目的として有ると云う事は、決して有り得ない。
合理的でないものは、目標としては何処にも有り得ない。
第三頌
さあ、あらゆる外界の現象に依つて、自由な状態が作られて居る。
そしてその場合には、恐らくあらゆる外界の現象は、物質的な存在であろう。
恐らく実行不可能な性格のものが、物質的な性格として存在して居るのであろう。
しかし実行不可能な状態とか、物質的な性格と呼ばれるようなものは、実際には決して実在して居ないのであろう。
第四頌
あらゆる外界の世界の中に実在して居るものは、正に外界の世界に帰属して居る。
其処には物質的な存在の現れて来る筈が全く有り得無い。
あらゆる外界の世界の中に実在して居ない場合でも、
其処には物質的な存在の現れて来る筈が全く有り得無い。
第五頌
何の根拠も無いものが、やはりあらゆる現象を作り出して居る。
何も全く存在して居ない状態が、何かを生み出すと云う事は、全く存在する事が有り得無い。
従つてあらゆる外界の現象が、何かを作り出すと云う事が云える。
代案を選ぶ事が願望されたと云う事では無い。
第六頌
物質的な存在の中に、正しさは含まれて居ない。
唯、実行可能と呼ばれる状態だけが、現れて来る。
物質的な存在の中には、不正も含まれては居ない。
唯、実行可能と呼ばれる状態だけが、現れて来る。
第七頌
発見の為の行為に於ける心構えは明確な理解であり、
様々の明確な理解と徹底的な態度である。
全般的な態度と同時に、全べてが実際に存在する事である。
正にあらゆる現象に依存して、全ての行為が一斉に実行される事である。
第八頌
何であれ、孤立の対象に成つて居るものは、孤立し勝ちである。
交感神経と副交感神経とが均衡して居る状態を作り出すことが、語り合われて居る。
この世の中の一切のものは、具体的な事物の中で、特に回避された状態には成つて居ないし、
全べてのものは、管理された状態に沿つて、作り出されている。
第九頌
或るものは、その様な説明に依つて、非難の対象と成つて居るけれども、
自律神経のバランスした状態を作り出す事が、語られて居る。
全てのものは、具体的な事実の中に含まれて居り、非難される事が無い。
どんなものでも、管理される事に依つて生まれて来る。
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