第一頌
あらゆる外界の現象は、物質的な存在であり、個々ばらばらな存在である。
あらゆる外界の現象は、何ものに依つても、所有されて居るものでは無い。
あらゆる外界の現象そのものに依つて、自由であると云う事でも決して無い。
あらゆる外界の現象が、物質的な存在として見えるだけの事である。
第二頌
あらゆる外界の現象は,物質的な存在であり,自由な状態の中に在る。
外界の現象の中に在るとか、外界の現象を作つて居るとかと云う考え方は、拘わり過ぎて居る。
理論的で無いものが、目的として有ると云う事は、決して有り得ない。
合理的でないものは、目標としては何処にも有り得ない。
第三頌
さあ、あらゆる外界の現象に依つて、自由な状態が作られて居る。
そしてその場合には、恐らくあらゆる外界の現象は、物質的な存在であろう。
恐らく実行不可能な性格のものが、物質的な性格として存在して居るのであろう。
しかし実行不可能な状態とか、物質的な性格と呼ばれるようなものは、実際には決して実在して居ないのであろう。
第四頌
あらゆる外界の世界の中に実在して居るものは、正に外界の世界に帰属して居る。
其処には物質的な存在の現れて来る筈が全く有り得無い。
あらゆる外界の世界の中に実在して居ない場合でも、
其処には物質的な存在の現れて来る筈が全く有り得無い。
第五頌
何の根拠も無いものが、やはりあらゆる現象を作り出して居る。
何も全く存在して居ない状態が、何かを生み出すと云う事は、全く存在する事が有り得無い。
従つてあらゆる外界の現象が、何かを作り出すと云う事が云える。
代案を選ぶ事が願望されたと云う事では無い。
第六頌
物質的な存在の中に、正しさは含まれて居ない。
唯、実行可能と呼ばれる状態だけが、現れて来る。
物質的な存在の中には、不正も含まれては居ない。
唯、実行可能と呼ばれる状態だけが、現れて来る。
第七頌
発見の為の行為に於ける心構えは明確な理解であり、
様々の明確な理解と徹底的な態度である。
全般的な態度と同時に、全べてが実際に存在する事である。
正にあらゆる現象に依存して、全ての行為が一斉に実行される事である。
第八頌
何であれ、孤立の対象に成つて居るものは、孤立し勝ちである。
交感神経と副交感神経とが均衡して居る状態を作り出すことが、語り合われて居る。
この世の中の一切のものは、具体的な事物の中で、特に回避された状態には成つて居ないし、
全べてのものは、管理された状態に沿つて、作り出されている。
第九頌
或るものは、その様な説明に依つて、非難の対象と成つて居るけれども、
自律神経のバランスした状態を作り出す事が、語られて居る。
全てのものは、具体的な事実の中に含まれて居り、非難される事が無い。
どんなものでも、管理される事に依つて生まれて来る。
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