ドーゲン・サンガ ブログ
西 嶋 愚 道
2011年1月23日日曜日
―お知らせ―
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去年末に西嶋先生が体調を崩され,このブログの更新およびコメントへの返事は休止しております. 平成23年1月23日 管理者一同
2010年7月8日木曜日
第二十七章 教説に関する検証(30頌)
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第一頌 「未来派」、「過去派」、「世俗派」、 そして「現実派」と呼ばれる会派等が、様々の教説と呼ばれるもので有る。 様々の稍縁遠いものも、様々の具体的な身近かなものも、永遠の性格を持つて居り、世界の創造を意味して居る。 先行語の末尾に於ける陳述は、何かに依存する事の大切さを主張し...
2010年7月6日火曜日
第二十六章 十二種類の原因結果に関する検証(12頌)
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第一頌 新しい誕生と身心を整える訓練、 そして無意識では有るけれども、周囲から何等の制約を受けない状態、其れ等の三種類の方法に依つて、 様々のものが手段として形作られて行く。 事態の前進が、行いに依存する事に依つて、具体化して行く。 第二頌 目立たせる為の行為が、全てのものを安定...
2010年6月23日水曜日
第二十五章 自律神経のバランスに関する検証(24頌)
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第一頌 若しも自律神経のバランスした状態が、この世の中の全てで有る場合には、 此の世の中の出現も有り得無いし、この世の中の消滅も有り得無い。 放棄する事からも離れ、亦無視する事からも離れた場合、 一体何処に、自律神経のバランスを解放する事が、出来るで有ろう。 第二頌 若しも自律神...
2010年6月11日金曜日
第二十四章 崇高な真実に関する検証(40頌)
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第一頌 バランスした自律神経が、此の世の中の全てに満ち溢れて居る場合には、 この世の中に於ける新たな実在の出現も有り得無いし、其の死滅も有り得無い。 四種類の崇高な真実に関しても、 其れ等の不存在は、議論の対象と成らない。 第二頌 知識と断念と、 其れ等の原因を直接実際に自分の眼...
2010年6月4日金曜日
第二十三章 錯覚に関する検証(25頌)
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第一頌 欲望から生まれたものが、怒りで有る。 憎悪と錯誤との両方が、語られて居る。 良い前兆と悪い前兆とが、錯覚を作り出して居る。 何故ならば、正しい真実はたつた一つの場所に集中して、存在して居る筈のもので有るから。 第二頌 良い前兆と悪い前兆とが、無数の錯覚を作り出す。 正しい...
2010年6月1日火曜日
第二十二章 現実の到来に関する検証(16頌)
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第一頌 存在に関する五種類の要素、即ち物質、感覚、知覚、行為の実践、思考能力は、この五種類の要素の想像させるものとは、全く別である。 そして両者が違う処から、五種類の要素は具体的な物に帰属する訳では無く、現実そのものである。 現実の到来は、五種類の要素には似て居ない。 其の様な処...
2010年5月27日木曜日
第二十一章 共在と遍在との融合に関する検証(21頌)2(
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第一頌 共在も遍在も両方共実在を意味して居る訳では無い。 共在は正に遍在に依存して居る。 しかし共在も遍在も、両方共実在を意味して居る訳では無い。 遍在は正に共在に依存して居る。 第二頌 名称だけが優先して事前に存在して居ると云う事態は、現実には有り得無い。 共在が遍在を作り出し...
2010年5月22日土曜日
第二十章 綜合的な把握に関する検証(24頌)
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第一頌 理性が確乎とした様々の信念の中に内在して居る場合には、 其の場合、綜合的な把握が生まれて来る。 結果の実在して居る事が、正に綜合的な把握で有る。 綜合的な把握が生まれ出ると云う事態が、どうして有り得よう。 第二頌 理性が正しい信念の中に内在して居る場合には、 正に其の際に...
2010年5月21日金曜日
第十九章 「時」に関する検証(6頌)
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第一頌 現在の瞬間に於いて何かが既に到着して居ると云う事は、必ずしも何かが今到着した事を意味して居無い。 何故ならばその場合には、過去に於いて既に到着して居れば良いと云う期待の対象と成つて居るから。 現在の瞬間に於いて何かが既に到着して居ると云う事は、過去の時間に於いて既に何かが...
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