ドーゲン・サンガ ブログ

  西 嶋 愚 道

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2010年2月21日日曜日

第一章 現実の正しさに関する検証(14頌)

第一章 現実の正しさに対する検証(14頌)

第一頌(だいいちじゅ)

主観的なものではない,客観的なものでもない。

主観的なものと客観的なものとの両方でもないが、理論に合わないものでは決してない。

眼の前の現象が,唯見えて居るだけの事である。

存在と呼ばれるものは、何処にも見当たらないし、何かが存在するという事でも決してない。


第二頌

四種類の正しい真実とは、理性、

客観的な世界,現在の瞬間、

そして恰も帝王の様な現実である。

正しい真実に関連して、五番目のものは存在しない。


第三頌

頭の中で考えた主観的な存在は、実際に存在して居るものではないのであるから、

正しい真実に支えられて居る時にだけ、認識する事が出来る。

認識が出来ず、従つて考え方が主観的である場合には、

次に続くものを予想する事が出来ない。


第四頌

行いは正しい真実の類似品ではない。

行いは偽物の類似品ではない。

正しい真実は、行いでないものの類似品ではない。

行いそのものが,正に眼の前に実在している。


第五頌

現実の真実と呼ばれているこの世の中が、正に眼の前に現れている。

様々の事物と呼ばれるものが、正に様々の真の現実である。

それと同じように、無限に数の増大しないものが,様々の事物であり、

取りあえずそれ以上のものが現れて来ないのは,何故であろう。


第六頌

実在しないものでは絶対にない。しかし実在するものでも絶対に無い。

本当の真実は目標によつて縛られて居る。

現実的でない真実は、一体何に属するのであろう。

現実的なものが,現に現実的な真実に依存して居るという事は、一体どう云う事であろう。


第七頌

安定しているとか、安定していないとかという問題は,現実的か現実的でないかという問題とは、違う。

現実的か現実的でないかという問題に関しては、宇宙そのものが問題と成る。

具体的に現れて来たものが、何時も合理的であるという事が,どうして有り得よう。

何故ならば,現実と呼ばれるものは、どのような場合でも、何時も何かに依つて拘束されて居るのであるから。


第八頌

何ものに依つても支えられて居ない世界が,正にこの世の中であり、

現実の宇宙が,その侭展示されて居る。

其処に於いては、何ものにも依存する事無く、唯宇宙に依存しているのであり、

更に何か他のものに依存していると云う事情は、見当たらない。


第九頌

具体的に現れて居ないものに依存し、宇宙の原則に依存した場合、

自己管理の能力が現れて来る訳ではない。

時間的な間隔の無い事が,拘束を作り出す訳ではない。

自己管理の能力そのものの中に、現実と呼ばれる真実があるという事は、一体どう云う意味であろう。


第十頌

個々の事物の存在する事が、主観的な個々の事物の存在を否定する事にはならない。

若しもその様に、主観的な個々の事物が実在すると云う事実を否定するならば、

現実のこの世の中は、この世の中と呼ばれる抽象的な概念に依つて存在することと成り、

この世の中が、現実に現れて来ると云う事実が完全に無くなつて終う。


第十一頌

個々の様々の事物が、一箇所に雑然と投げ込まれて居る訳では無い。

現実の真実と云うものに依存して、結果と呼ばれる事実が現に実在している。

一体どの様な現実の真実と云うものに依存して、その様な事実が現れたのであろうか。

恐らくその様な現実の真実に依存するのでなければ、その様な事実は存在し得なかつたのであろう。


第十二頌

其処に於いては、正に現実が具体的な事実として、様々の事物を示して居る。

現実と呼ばれる真実に依存して、事実が具体的に進行して居る。

現実と呼ばれる真実に背いて、一体何が得られると考えて居るのであろう。

何も前進しない事が、恐らくその結果であろう。


第十三頌

結果と呼ばれる概念は,正に現実と呼ばれる真実の破壊者である。

現実と呼ばれる真実は、正に何も持つて居ない人々に取つては、悪魔その者である。

結果と呼ばれる考え方は、何も持つ居ない人々に取つては、それなりの意味を持つかも知れないけれども、

それが現実と呼ばれる真実に対して、具体的に敵対する事が出来ると云う事実が、どうして有り得よう。


第十四頌

その様な事情から、現実と呼ばれる真実に対して敵対する事の出来る悪魔は、何処にも存在する事が出来ない。

従つて正しい真実の敵でない人々でさえ、存在しない事が最終の結果である。

どのような結果も存在しない様な状況をも離れた状況の中で、全体を見渡す事が出来、

正しい真実であるとか、正しい真実ではないとか云う様な問題も、何処にも見出す事が難しい。

ドーゲン・サンガ・ブロツグの再開について

長期間に亘りドーゲン・サンガ・ブロツグへの投稿を休止して参りましたが、本二月二十一日から竜樹尊者の「根本的な中論の歌」に関する最新の日本語訳を掲載致します。