ドーゲン・サンガ ブログ

  西 嶋 愚 道

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2006年7月31日月曜日

ドーゲン・サンガ(2)萌芽以前

父方の祖父母

私も人類の一員である以上、何らかの形で遺伝子とそれによる因果関係の中に巻き込まれている事実を、否定する事が出来ない。したがつて自分がどのような祖父母を持ち、どのような父母の影響を受けて、今日の人生を送つているかという問題に関して、極めて僅かではあるけれども、記憶している範囲の事実を書き残して置くこととする。
父方の祖父は小金丸種美(たねみ)と云い、福岡藩の武士であつたが、福岡藩が徳川政権の維持に熱心な藩であつたにも拘らず、祖父は天皇による新政府の実現を期待する運動に参加していたため、藩政府の役人によつて拘捉され、明治維新の際には城内の牢獄におり、明治維新の実現と同時に出獄を許された。今日でも福岡市の西方に可也山(築紫富士)と呼ばれる山があり、その麓に小金丸村という村があるが、この村はかつて村全体が小金丸姓で占められていた。そしてその小金丸家には嘗て平野国臣という武士が長期に亘つて滞在し、この人物が後に、兵庫県の生野銀山において、徳川幕府を倒す運動を起こした首謀者となつた人物であるから、祖父が徳川幕府を倒す考え方を持つていたことに関しては、この平野国臣という人物の影響があつたものと思われる。
そのような事情から、祖父は明治維新後も徳富蘇峰の日本史編纂に関する助手の仕事をしており、経済的にはあまり恵まれなかつたようである。
祖母は祖父が国事に奔走しいる際に、二人の男子を女手独りで養育したが、その二男に当る人物が、私の父、巌である。祖父は獄中に居た際に小金丸姓を失つていた処から、明治維新後に福岡藩から西嶋姓を受け、西嶋姓を名乗るようになつた。

母方の祖父母

母方の祖父は寺井輔吉(すけよし)といい、徳川家の家臣であつたが、明治維新の際にはその部隊に従つて、会津まで従軍した。しかし長年信仰していた菅原道真公が夢の中に現れ、東京に戻る事を強く勧めたのでその教えに従い、やがて平沼栄蔵と呼ばれる横浜市長の下で、土木課長として勤務した。祖父は旧派の俳句の師匠でもあつたが、私の母が幼少の頃に妻が死去したため後妻を娶り、私の母はその後妻によつて養育された。



父は西嶋巌といい、明治14年の生まれであり、今日の日比谷高校の前身である東京府立第一中学に入学したけれども、卒業後、家庭の経済的な事情から、東京工手学校という高等学校級の技術専門学校を卒業せざるを得なかつた。父は学歴が低いにも拘らず実力があつたものと見えて、社会的にはかなり優れた働きをしたけれども、本人としては単に学歴が低いという事情から、人事面で不利な待遇を受けざるを得ない場合が多く、自分の息子にはこういう思いをさせたくないと、常に考えて呉れていたような様子が見受けられる。
父は工手学校を卒業後、古河財閥系の古河電線という会社に就職する事が出来た。しかし自分自身を研鑽する意味で、柔道をやつたり能をやつたりして努力をしていたようである。
父は31歳の時に、13歳下である寺井八重と結婚した。両親の新居は横浜市の平沼町にあつたが、私は母親の実家があつた岡野町で1919年に生まれた。私には上に姉が2人居た。私の後にも弟一人と妹二人とが生まれたが、弟一人と妹一人は赤子の時代に亡くなつた。
当時は第一次世界大戦前の不況期と第一次世界大戦による好況期が交錯した時代であるが、父は当時三重県の四日市にあつた東海電線という会社から招請を受け、同社に移籍する事となつた。しかし第一次世界大戦後の好景気が終わると同時に東京に戻り、亀戸ゴムと呼ばれる小規模の会社に就職し、技術者として働いた。



母は寺井輔吉の二女として成長し、神奈川高女を卒業したが、子供の教育には非常に熱心で、私も小学校時代には毎日、母に勉強を見て貰つた。ある日、「帰る」という字として昔使われていた複雑な漢字を、書く事が出来ず、非常に強く頭を叩かれた記憶が残つて居る。しかし普段は非常に優しい人であつた。しかし私が中学校を卒業する段階で、殆ど高等工業に決まり掛けていた時に、「この子は高等学校に入れて、大学を出す」という説を主張してくれたために、私は大学に行く事が出来た。

2006年7月26日水曜日

ドーゲン・サンガ(1)萌芽

私と仏道
私は現在86才となつているけれども、過去のことを振り返る度に、何か非常に恵まれた人生に巡り会えたのでは無いと云う感想を持つ。何故かというと今日、世界の多数の人々の間には、この世の中にさまざまの相対的な真実があるかも知れないけれども、たつた一つの絶対的な真実は、存在しないのではないかと云うという考え方が、意外に多いように思う。勿論、例えばイスラムの世界では、やはりたつた一つの真実を信じている人々が、圧倒的に多いのであろうけれども、それ以外の世界で、一体どの程度の人々が、たつた一つの真実を考えているのかという事を考えてみると、意外に少ないのではないと思う。実際に自分自身のことを振り替えつて見ても、幼少の頃にはこの問題について、全く無知であつた。しかし86年というやや長い歳月を費やして、釈尊の教えを勉強し、その内容の一切がはつきりして来ると、そのようなたつた一つの真実に巡り会い、その一つの真実について、ブログを通じて単に日本だけでなく世界に向かつて、釈尊の説かれた教えを説く事が出来るようになつた自分を大変幸せであると思う。そこで今回からはそのような意味で、私がどのような経緯を経てドーゲン・サンガを設立し、どのような積み上げを経て今日に至り、今後どのような形でその将来を考えているかという事を考えて見たい。
私の育つた家庭は、必ずしもそう極端に宗教的な家庭ではなかつた。勿論その当時の日本における習俗に従がつて、父親は毎月1日には室内に設けられた小さな神棚を掃除し、榊や水を取り替え、お神酒を上げて柏手を打つという習慣があつたから、自分もそれにならつて柏手を打つというようなことを真似していた。しかしそれほど強い宗教心が有つたようには思えない。母も近くにあつた富士神社に参拝するのが好きで、屡出向いていたようではあつたけれども、特に特別の信仰があつた訳ではなかつたように思う。
したがつて私も17歳になる辺りまでは、特に宗教について強い関心を持つ事がなかつた。然し乍ら日本がやがて第二次世界大戦に突入する2、3年前に宗教的な問題が、俄に登場することとなつた。何故かというと、当時日本は長年に亘つて培かつて来た右翼的な軍国主義が非常に盛んとなり、国内の思想が殆どそれ一つに統一されるような形勢となつて来た。しかしその反面、カール・マルクスやレーニンの思想に共鳴して、日本国内においても共産主義革命を起こすべきであるという考え方の下に、非合法的に地下活動を企図している少数の人々による活動もあり、右翼的な軍国主義と左翼的な共産主義とのどちらが正しくて、どちらに組することが正しいのかを結着させることが、全く不可能であつた。
そこで偶々1940年の10月に栃木県の大中寺で行われた沢木興道老師の坐禅会において、沢木老師の「右翼も間違い、左翼も間違い」という仏道の立場からの断言を聞き、観念論の右翼と唯物論の左翼と両方を排除した佛教的な中道思想の中に、本当の真実があるのかも知れないということに気が付いた。

2006年7月14日金曜日

普勧坐禅儀(5)坐禅の実際

普勧坐禅儀の内容を説明した機会に、われわれの日常生活に関連して、坐禅における大切な問題を述べて置きたい。

(1)坐禅は毎日やらなければ意味がない。

坐禅はあれわれの身体の状態を正しい状態に保ち、自律神経のバランスを即座に具体化する修行法ではあるけれども、自律神経のバランスは瞬間瞬間の状態であるから、それが失われた場合、出来るだけ早く坐禅をする時間を得て、自律神経のバランスを回復する必要がある。したがつて道元禅師も、一日に四回坐禅することをわれわれに勧められた。しかし人間の社会には、それぞれの社会環境にしたがつて、実行可能な方法と実行困難な方法とがあるので、われわれはそれぞれ自分達が生きている時代環境に即応して、実行可能は方法を考えなければならない。われわれは多少の例外はあるけれども、現在資本主義の社会に生存している。したがつて通常の場合、さまざまの職業の実情に縛られて、一定の時間を金銭収入を得る仕事の為に使うことが一般に必要であつて、その条件を仮に無視した場合には、坐禅、坐禅という理論ばかりが盛んになつたとしても、一般に人々が毎日坐禅をする機会が与えられない場合には、人々が毎日坐禅をして自律神経のバランスを継続し、一日一日の生活の中で佛道修行を継続して行くことが不可能である。

(2)「さとり」に対する誤解

仏道修行に関連して、「さとり」というものがあることは、事実であるけれども、一般にその実体が正しく理解されていない処から、仏道全体の理解をする場合に、とんでもない誤解に繋がつているような例が、決して少なくない。
どんな誤解があるかというと、坐禅をしているとある日、様子が突然変わつて、それまでの考え方とは全く違つた考え方が突然現れ、身体も特別に健康な状態になるという理解の仕方がある。しかし佛道の世界では、そのような事はあり得ない。何故かと云うと、そのように頭の中で考えた思想が、この世の中で具体的に実現するという考え方は、いわゆる観念論と呼ばれる考え方で、釈尊が正しくない思想として否定された考え方であるから、釈尊の教えを正しい教えとして信ずる限り、観念論は正しいと信じてはならない思想であるということが云える。
それと同時に「さとり」という考え方については、もう一つ別の立場から生まれて来る誤解がある。それは
「さとり」という考え方は、われわれの身体の在り方と関係しており、身体が極端に衰弱したり、睡眠が著しく不足したりしたような時に現れて来る、異常体験として理解する考え方である。しかしこの考え方も、釈尊が修行の二番目の段階として実行された苦行の生活が、真実に到達するための正しい考え方ではなかつたという事と関係しており、唯物論的な立場から来る不自然な肉体の酷使も、決して「さとり」への道ではないという思想も、「さとり」に関連して明記して置かなければならない思想である。
頭の中で考えた思想や身体の異常な状態の中に「さとり」があると考える思想は、何れも仏道とは違う思想であるが、佛教と呼ばれる思想の中にも、そのように誤まつた思想が含まれているから、注意して排除する必要がある。

(3)本当の「さとり」

仏道における本当の「さとり」は、実際に坐禅をする事である。われわれが今日非常な恩恵を受けている欧米の文化の中では、人間の頭の中で考え出された思想と、感覚器官を通じて取り入れられる感覚的な美しさとが、文化における二つの基準と考えられるのであるが、仏道においては、そのような思想や感覚上の美しさを乗り越えて、現実そのものの中に真実を見る考え方である。
したがつて坐禅をする事に依り、自律神経をバランスさせ、思想の根源である交感神経と感覚的な美しさの根源である副交感神経とが、プラス/マイナス/ゼロの状態になつた時に現れて来る現実の世界が、真実の世界であることを自覚することが、第一の「さとり」である。その事は、坐禅をして落ち着いた状態の中で坐つて居る事が、基本的な「さとり」であり、真実そのものであるという考え方が、仏道における第一の「さとり」の意味している。
そのような形で毎日の坐禅を繰り返して、絶えず自律神経をバランスさせた状態で、三十年以上の歳月を経過すると、この世の中の全ての哲学問題を佛教哲学の立場で考え直すことが出来、それによりこの世の中の一切の問題を、仏道の立場で理解することが可能になるけれども、それを第二の「さとり」と呼ぶ事が出来る。

(4)空とか無とかという思想は完全な誤解

今日の日本における佛教思想においては、佛教における究極の思想は、この世の中の実体が空であり無であるという思想であるとされているけれども、この思想は、佛教思想に関する完全な誤解である。そしてこのような誤解が中国で行われ、日本で行われるようになつた根源を考えて見ると、二世紀から三世紀に掛けてインドにおいて活躍した佛教僧である竜樹尊者が、極めて優れた「中論」という佛教書を書いているのであるが、その中国語訳が四世紀に鳩摩羅什によつて行われている。処がこの鳩摩羅什によつて行われた「中論」の中国語訳を、サンスクリツトの原文と対比してみると、到底翻訳とさえ呼べないような極端な誤訳の集積である。しかもこの翻訳が、当時の中国政府における国家事業として行われた処から、中国においては
絶対の権威として認められ、その誤訳に溢れた「中論」を基準として、仏道の基本的な論議が行われた処から、釈尊の説かれた仏道は、この世の中が架空の世界であり、実在する世界ではないという主張が、碓立され定着するに到つた。
したがつてそのような中国佛教の影響から、現在における世界の佛教は、極端な誤訳に基礎を置く非実在論的な佛教を拔本的に改め、「中論」の原典における実在論的な仏道思想を復活させるという緊急事態に、直面していることが、実情であると考えざるを得ない。

(5)「中論」における実在論

竜樹尊者の「中論」を原文に忠実に読む限り、佛教思想は明らかに、この世の中が現実に実在することを主張している実在論思想である。「中論」は全体が二十七章に分かれているけれども、「中論」の説いている佛教思想が明らかに実在論であるという主張は、その第一章を精読しただけでも、明らかに読み取る事が出来る。
「中論」の第一章は、サンスクリツトではpratyayaという表現であり、その原語の意味は、信仰とか信念とかという意味である。したがつて竜樹尊者は先ず第一章において、「中論」全体に亘つて主張されている釈尊によつて説かれた佛教思想の中心内容が、どのようなものであるかを説いている。したがつて私も「確かな事実」という訳語を採用した。そして第一章は十四の頌から成り立つているけれども、その第一頌(じゅ)において竜樹尊者は、「主観的なもの(svato)は実在ではないし、客観的なもの(parato)も実在ではない」と述べている。そして「主観的なもの」とは、頭の中で考えられた観念と考えられ、「客観的なもの」とは、感覚的に捉えられた外界の刺激として理解されるところから、この第一頌における主張は、観念と外界からの刺激とは、共に実在ではないという主張であり、哲学界の二大主張である観念論と唯物論とに対する真向からの否定である。したがつて佛教思想の中には、観念論と唯物論との両方に対する徹底した否定のある事を、明快に受け取る必要がある。恐らく翻訳の衝に当つた翻訳者も、文章の冒頭から二大思想の両方に対する真向からの否定に直面して、先ず「中論」は虚無思想以外にはあり得ないという先入見に取り付かれてしまつたのではないかと推察される。しかし「中論」は、そのような虚無主義では決してない。
何故かというと竜樹尊者は、直ぐその次の第二頌において、彼が実在と考えていたものを具体的に四つ明示している。それは何かというと、理性(hetu)と、外界の世界(arambana)と、現在の瞬間と、現実(tatha)である。しかも彼は自信を持つて、五番目のものはないと云い切つて居る。このことは、彼が自分自身の主張する実在論に対して如何に自信を持つて居たかを物語つている。つまり彼はこの宇宙に遍満している理性と、われわれの外界に存在する世界と、現在の瞬間における時間と、綜合的な現実とを、実在として明確に信じていたのであり、彼が虚無主義者であつたということは、絶対に信ずる事が出来ない。
そして第一章の第四頌においては、第二頌で列擧した理性、外界の世界、現在の瞬間、現実そのものが、実はわれわれが日常生活において実行している現在の瞬間における行いと同じものである事が主張されている。
そしてさらに第九頌においては、われわれの日常生活における自己管理としての行いが、宇宙そのものと一体のものであることが主張されている。
このようにして、「中論」の第一章においては、観念も物質も実在ではなく、理性と外界の世界と現在の瞬間とが、一つに重なつたものが現実である。それは現在の瞬間における人間の行いであり、それが現在の瞬間における宇宙と一つのものであるという形で、明確な実在論が説かれている。
そしてそのような形における実在論を、伝統的な一定の姿勢を保持して坐り続けることによつて、実体験することが、坐禅である。

(6)坐禅の場所

必ずしも広い必要は無く、自分の身体を入れるだけの広さがあれば、実行が可能である。坐禅の場所を暗くする習慣があるけれどもこれは誤りであり、成る可く明るいことが望ましい。

(7)坐禅の姿勢

坐禅の姿勢は、普勧坐禅儀に定められた伝統的な姿勢を守ることが大切であり、椅子等を使うような事は、避けなければならない。

(8)呼吸の仕方

坐禅をしている際の呼吸の仕方については、さまざまの主張があるけれども、われわれの立場としては、道元禅師が残された永平広録の中の基準に、依拠するべきであると考えている。永平広録についても、数十年前に岸沢惟安老師によつて永平寺の書庫から発見され、丹羽廉芳禅師によつて復刻された「祖山本」道元和尚広録第五の390においては、道元禅師ご自身の坐禅における呼吸法が述べられている。
その中では先ず坐禅に関連しては,正身端坐、すなわち姿勢を正してきちんと坐る事が、最高の基準として強調されているが、その次に呼吸の方法が述べられている。
その説明によると、先ず道元禅師は、小乗佛教の立場から説かれている調息と致心という基準を否定しておられる。調息とは呼吸を整える努力であり、致心とは心を最高の状態に保とうとする努力であるが、道元禅師は、そのような小乗仏教に有り勝ちな理想主義的な努力を、先ず否定されている。そしてそのような小乗的な努力の具体的方法として、呼吸の数を数える方法と、自分達の心に関連して、それが汚れていると考える方法とがあるけれども、そのような小乗仏教で行われている方法は、絶対にやるべきでない事を強調されている。
それでは大乗佛教における呼吸法はどのようなものかというと、呼吸が長い時にはそれが長いと認識し、呼吸が短い時にはそれを短いと認識することであると云われている。つまり大乗仏教においては、それを意識的に長くするとか、意識的に短くするとかという努力をせず、唯それが長いか短いかを自分自身で自覚するという事を云われている。そして大乗佛教における呼吸法に関連しては、所謂腹式呼吸が行われていることを認めておられるけれども、道元禅師は意識的に腹式呼吸をする方法には、ご賛成でなかつたように理解される。何故かというと、そのように腹式呼吸を意識的に実行する事は、坐禅の修行が実質的に、腹式呼吸という意識的な努力に、摺り換えられてしまうからである。
それでは道元禅師ご自身は、坐禅における呼吸法に関連して、どのように理解しておられたのであろうか。道元禅師は、永平広録における坐禅に関する呼吸法の最後の処で、現代語に翻訳すれば、「元気がよければ坐禅をする。そうすれば居眠りすることがない。お腹が空いたらご飯を食べる。満腹した状態がどういうものであるかが分かる。」と云われている。このように道元禅師は、佛教哲学を徹底して「行い」の世界における問題として、考えておられたことが解る。

2006年7月6日木曜日

普勧坐禅儀(4)文意の説明

普勧坐禅儀は短い文章ではあるけれども、坐禅に関してどうしても書いて置かなければならない事項は、必ず記載されているし、書いても書かなくてもいいような事項は、決して書かれていない。したがつて普勧坐禅儀に書かれた内容は、何れも重要な意味を持つている処から、どのような事項を述べているかという問題に関して,それぞれの事項を分けて、説明することとする。
(1)現実世界の肯定:一般に観念論の考え方を信奉している人々は、頭の中で考えられる最高の状態を,この世の中のあるべき姿として考えるから、それに比べると、われわれが現に住んでいるこの世の中は、常に不満足な世界として捉えられる。処が唯物論の考え方を信奉している人々は,この世の中は物質だけから出来上がつた世界であるから,嫌な世界ではあるけれども、良くしようと思えば、いまの世界を壊すしかないと考える。ところが佛教では、現にわれわれが今住んでいるこの世の中は、われわれが住む事のできるたつた一つの世界ではあるけれども、真実の世界であり,最高の世界であると考える。したがつてわれわれは、現に最高の世界に住んでいるのであるから、理論的に考えるならば、われわれは大体において、まずまず妥当な状態の中に居る事が原則であつて、特に修行とか体験とかに頼つて、真実を求める必要はない筈であると考える。
(2)人間生活の実情:しかしわれわれ人間の実生活を考えてみると、実情はそのように安易ではなく、たまたま何らかの問題が起きてくると、その問題が何時の間にか,途轍もなく大きく広がつて、どうにも解決が出来ないようになつてしまう。仮に頭が良くて、直観的な判断力が優れており、特別の問題も良く分かり、自分でも大空を突き上げる位の勢いがあつて、悠々と歩き廻つているようには見えるけれども、実情を眺めてみると、頭だけが空回りしているだけであつて、身体全体が実行の世界に抜け出すという事が出来て居ない。
(3)過去の祖師方の実例:しかし釈尊その他の実例を見てみると、祇園精舎におられた釈尊は、坐禅の修行を6年間続けておられるし、少林寺におられた達磨大師もやはり、9年間坐禅の修行をしておられる。過去の諸先輩が、既にこのような努力をしておられるのであるから、現代に生きるわれわれが、坐禅の修行をしない事は許されない。
(4)坐禅修行の実体:坐禅をする事の実質的な内容は,言葉の意味を尋ねたり,文章の意味を追いかけたりするような理解に関する努力を止める事である。自分自身の心の向きを替えて、自分自身を照らすという自己観照の行為をすることである。身体と心に関する意識が自然に消えて、われわれ本来の目や顔が、現実に現れて来るである。もしも,そのような言葉では表現する事の出来ない現実の事態を、体験したいと思うならば、その言葉では表現出来ない現実の事態を、即座に行いを通して実現するべきである。
(5)坐禅のための環境:元来、坐禅をするにはなるべく静かな部屋がよく、飲み物や食べ物も、節度を保つ事が良い。さまざまな周囲の問題を全部投げ捨てて、すべての仕事を一時止め、善いとか悪いとかという問題を考えず,正しいとか間違つているとかという問題に、一切関心を持つてはならない。心、意思,意識を働かせる事を止め、想念、思考、直観等の心の働きを止めて,仏に成る事をさえ意図してはならない。日常生活における坐つたり,臥たりする動作とは、殆ど関係がない。
(6)坐禅の具体的なやり方:坐禅をやる場所には、普通、坐る為の厚い敷物を敷く。道元禅師の生きておられた時代の日本家屋は、畳敷きではなく板の間が多かつたから、板の間で坐禅をするには、厚い敷物が必要であつた。そしてその上に、坐蒲と呼ばれる坐禅のための円いクツシヨンを使つた。ある場合には結跏趺坐、ある場合には半跏趺坐。結跏趺坐の場合には、右の足を左の腿の上に載せ、左の足を右の腿の上に載せる。半跏趺坐の場合には、左の足で右の腿を押すという表現になつているが、このことは半跏趺坐の場合、多少の緩やかさが許されると理解する事が出来る。なお右足と左足とを入れ替えることが出来るかどうかという問題に関し、沢木興道老師は,右、左の問題は単に「道元禅師が一例を示されたまで」というご理解であつたから、右左の足を入れ替えることは差し支えない。衣類を足の上にゆつたりと掛けて、形を整える。次に右の手を左足の上部に位置付け、左手を右手の上に置く。両方の拇指の先が向かい合うようにして付ける。そして即座に、姿勢を正しくしてきちんと坐り、左に傾いたり右に傾いたりする事を避け、前に俯いたり後ろに反り返つたりしてはならない。耳の線と肩の線とが、水平線として平行線を辿り,鼻と臍とが垂直線の中で、向かい合う必要がある。舌は口蓋に付け、唇と歯とを互いに付け、目は常に開いて置く必要がある。呼吸は鼻を通して静かに行い、身体の姿勢が既に整つたならば,大きく深呼吸を一つしてから、身体を左右に揺り動かし、山がじーつと動かないような態度で坐禅を始め,具体的には何も考えない境地を考える。具体的には何も考えない境地は、一体どのように考えたらよいのであろうか。具体的には何も考えない境地を考えるということは、物事を考えることとは、別の状態である。これが正に坐禅をやる上での,大切な点である。
(7)坐禅の本質:坐禅と呼ばれる修行は、安定した状態を求めて、それを練習することではなく、坐禅をしている状態そのものが、既に安らかで楽しい宇宙の秩序に入り込んだ状態である。既に真実を極め尽くした状態に於ける修行であり、体験である。宇宙の原則そのものが、既に出来上がつてしまつていて、人間の邪魔をしたり,束縛となつたりするような事態が、まだ何も現れていない状態である。もしもこの事情が分かつて来ると、竜が水を得て元気付けられた状態であり、虎が山を背にして自分を護つているような強い状態に似ている。その状態は、先ず最初に正しい宇宙の原則が目の前に現れて、交感神経が強い時に現れて来る暗い状態も、副交感神経が強い時に現れて来る纏まりのない状態も、両方とも消えてしまう実情を、直接の形で知るべきである。
(8)坐禅の終わり方:坐禅を終わつて、坐つた状態から立ち上がる場合には、ゆつくりと身体を動かし、安らかに落ち着いた態度で、立ち上がるべきである。慌てたり乱暴であつたりしてはならない。
(9)坐禅の成果:坐禅から生まれた成果を観察して見ると、凡人とか聖者とかという区別を乗り越えた境地も,坐禅をした結果として生まれて来るのであり、坐禅をしながら亡くなつたり、立つた姿で亡くなつたりした過去の祖師方の事例も、皆坐禅をした結果から、生まれて来ている。況して中国の倶抵和尚が、どのような質問に対しても、中指一本を指し出して答えに替えた態度とか、阿難陀尊者がたまたま旗竿を片付けていた時に、真実を得たとか、竜樹尊者が出家の立場を説明するために、針を水の中に沈めたとか、文殊菩薩が修行僧の注意を喚起するために、槌を打つた等の事例は、全て坐禅の修行の結果として生まれて来ているのであり、仏道の師匠が修行僧を教える際に、払子や握り拳や棒や「喝」という叫び声を使つたりするような体験も、物事を考えたり分類したりする頭の働きでは、決して理解出来るものではない。神秘的な能力だとか、修行だ体験だと云つてみても、本当の内容は頭で考えて解るものではない。言葉や外見では分からない威厳に溢れた姿であろう。どうして頭で考えたり感覚的に捉えたりする以前の基準によるものでないということが云えよう。勿論、道元禅師の生きられた時代には、自律神経のバランスに関する知識は全くゼロではあつたけれども、道元禅師は坐禅に於ける効果が,知能や感覚の支配する領域とは、全く領域が違うということを見抜いておられたということが云える。
(10)頭の良い悪いは無関係:したがつて頭が良いとか悪いとかという問題に付いて議論をしたり、頭が良いとか悪いとかによつて、人を選り好みする必要はない。誰でも一所懸命に努力さえするならば、正に真実の探究である。修行と体験とは本来一体のものであつて、分裂しているものではなく、何処に向かつて進んで行くべきかという目標も、完全に均衡が取れており、恒常的なものでもある。
(11)仏道の普遍性:一般的に云うならば、われわれの生きている世界においても、他の人々が生きている世界においても、西方のインドにおいても、東方の中国や日本においても、釈尊がお説きになつたのと同じような共通の特徴を持ち、根本的な態度を独占的に占有しており、唯,坐禅だけを一所懸命にやり、不動の境地の中で,自己管理されている。いろいろと細かい相違はあるかも知れないが、自律神経のバランスを体験して、真実の探究に努力するべきである。どうして自分自身が坐るべき場所を投げ出して、何の理由もなしに、自分の居るべき場所とは違う環境の中で、右往左往する必要が何処にあろう。もし一歩でも間違うと、即座に間違いを犯してしまう。われわれは幸いにして既に人間として、掛け替えのない重要な素質を与えられているのであるから、何の意味もない形で、無駄に時間を過ごすべきではない。われわれは既に坐禅と云う釈尊が説かれた最も大切な修行法を持ち続けている。誰が無闇に貴重な時間を、詰まらぬ楽しみの為に使うことが出来よう。
(12)宇宙の全員に対するお願い:そればかりではない。われわれの肉体的な素質は、草の葉の上の露のように果敢なく、命の移り変わりは稲妻のように瞬間的である。「あつ」と云う間になくなり、瞬間的に失われる。そこで佛道を体験的に勉強しておられる高貴な方々に、心からお願いしたい。どうか長い期間に亘つて、真実の模型に馴れ親しんで来たために、本当の竜である坐禅を疑わないで頂きたい。直接真実を指し示す事の出来る真実そのものである坐禅に対して努力をし、学問を超越して作為的な努力をしなくなつてしまつた人格を尊敬し、沢山の真実を得た方々の持つておられる真実と合致し、多くの祖師方が持つて居られた自律神経のバランスを正しく継承して頂きたい。長い期間に亘つてその事を実行されるならば、それこそが言葉で表現する事の出来ない何かであろう。宝の一杯詰まつた宝庫の扉が自然に開かれて、それを受け取りそれを使いこなすことが、自由自在に出来ることであろう。

2006年7月1日土曜日

普勧坐禅儀(3)現代語訳

普勧坐禅儀は日本語で書かれた文章であるから、日本人であれば誰でも読める筈の本ではあるけれども、7、8百年前の日本文であるから、現代の若い日本人にとつては、必ずしも読み易い本ではない。そこで出来るだけ厳密な現代語訳を、若い人々のために試みて見ることとした。
(現代語訳)元来、(基本的な真実を)探究する場合には、本来、基本的な真実は、宇宙の何処にでも満ち溢れている性質のものであるから、修行をしたり体験をしたりというような努力の必要が、何処にあろう。また基本的な真実に到達する手段も、自然に何処にでも存在しているのであるから、どうして殊更に努力を費やす必要があろう。況して(われわれ仏道修行者は)身体全体が、塵や埃(に塗れた俗世間)から抜け出しているのであるから、どうして塵を払つたり埃を拭つたりすることが、何かに役立つという事を信ずることが出来よう。一般的に云うならば、(われわれのやることは、)大体において妥当な状態から離れて居ないのであるから、どうして修行というものの足の先でさえ使う必要があろう。しかし(現実の事態の中に)僅か万分の一、千分の一の食い違いがあると、(その食い違いが)天と地との隔たりのように広く広がり、間違つているとか、いや間違つていないというような争いが、ほんの僅かでも起こつて来ると、心が動顛して何が何であるか分からなくなつてしまう。仮に豊富な理解力を自慢し、直観的な判断能力も充分にあり、普通の人々とは違う別天地の判断能力を身に付け、究極の真実を自分のものにし、人間の気持ちが分かり、大空を突き上げるような意気込みを持ち、頭の中だけでは解つた積もりになつて、悠然と歩き廻つてはいるけれども、(実際には)身体ごと頭の世界から抜け出して、(自由自在に行動の出来る)行いの世界に身体ごと飛び出す事が、殆ど全く出来て居ない。況してあの祇園精舎におられた生来の天才である釈尊でさえ、きちんと坐相を正して坐禅をされた足跡が、六年に及んでいることを実際に見ることができる。また少林寺において、釈尊の心の姿を伝えておられた(達磨大師)も、壁に向かつて坐禅をされることを、9年間続けられたという評判が、今日でもわれわれの耳許に響いて来る。過去における聖者でさえ、既にこの通りである。況して現在に生きているわれわれが、どうして努力をしないという事があり得よう。このような事情から、われわれは理解力を使つて、言葉を尋ね求めたり,言語を追い掛け廻したりする理解力による努力を、暫く休止するべきである。光の向きを変えて自分自身の在り方を照らす、反省の態度を勉強するべきである。(もしもそのような態度を取るならば,)身体や心に対する意識が自然に消えて、われわれの本来持つて居る姿・形が、眼の前に現れて来るであろう。言葉で表現出来ない事態を、自分自体ではつきり掴みたいと思うならば、何よりも先ずそのような事態そのものを実行するべきである。本来、坐禅をするに当つては,静かな部屋が適当であり,食べ物や飲み物に関しても、適量であることが好ましい。さまざまの周囲の環境を、一時、完全に放棄して、一切の仕事を休止し、善悪の問題を考えず、正しいとか間違つているとかという問題に対して、関心を持つべきではない。心、意思、意識の動きを停止し、想念、思考、直観による判断を停止し、仏に成ることを意図してはならない。このような努力は、日常生活における坐る、臥るとは無関係である。普通の場合、坐禅をする場所には、坐るための敷物を厚く敷き,その上に円い布団を使う。ある場合には結跏趺坐、ある場合には半跏趺坐。結跏趺坐の場合には,先ず右の足を持ち上げて,左の腿の上に載せ、左の足を右の腿の上に載せる。半跏趺坐の場合には,只左の足を使つて、右の腿を押すのである。緩やかに衣装を上から掛け、衣類をきちんとさせる必要がある。次に右の手を左の足の上に位置付け、左の手の平を右の手の平の上に載せ、両方の親指が向かいあつて,お互いに支え合う。即坐に正しい姿勢を取り、きちんと坐つて、左に偏つたり、右に傾いたり、前に姿勢を円くしたり、後ろに反り返えつたりしてはならない。耳の線と肩の線とが平行して向かい合い、鼻と臍とが垂直に向かい合う必要がある。舌は口の上部に付け、唇と唇,歯と歯とを両方とも付け、目は必ず常に開いている必要がある。鼻から息を僅かに通し、身体の姿勢が既に整つたならば,大きく深呼吸を一つして、身体を左右に揺すり、山のように動かない姿でしつかりと坐り、実際に考えないという境地を考えよ。その考えないと云う境地は、どのようにして考えるのであろうか。それは考える事とは別である。これが坐禅に関するやり方の大切な部分である。坐禅と呼ばれる修行法は、自律神経の安定した状態を練習することではなく、坐禅している事そのものが、安らかで楽しい宇宙の原則に関する入り口である。真実を隅から隅まで極め尽くす修行であり、体験である。宇宙の秩序が既に完成され,われわれ人間を捉えたり掬つたりするような網も籠も、まだ出来て居ない以前の状態である。もしもわれわれにこの意味が分かつて来ると、竜が水を得たのと同じような状態となり、虎が山を背にして自分を守るのと、同じような状態になる。正に知るべきである。正しい宇宙の原則が、自然に現実のものとして目の前に現れ、緊張し過ぎた暗い状態も、気分の弛み過ぎた取り留めのない状態も,先ず最初に無くなつて、完全に地面に落ちてしまうことを。坐禅を終わつて、坐つた状態から立つ場合には、ゆつくりと身体を動かし、ゆつたりと落ち着いた状態で立ち上がるべきである。慌てたり乱暴であつたりしてはならない。過去における祖師方の様子を見てみると、凡人の境涯を超越し、聖者の境涯も超越してしまうような境涯も、あるいは坐禅をしながら亡くなつたり、あるいは立つた侭亡くなつたりするような事例も、皆この坐禅の修行から得られた力に、完全に依存している事を知るべきである。中国の倶抵和尚が佛道に関するどのような質問に対しても、指を一本指し出して答えに替えた態度とか、阿難陀尊者が寺院の旗竿を取り片付けている際に、この世の中の真実に気が付いたとか、竜樹尊者が仏道修行の実体を示すために、針を水の中に投げ入れたとか、文殊菩薩が鎚を打つ事によつて仏道の転機を示した等の例や、払子、握り拳、棒、「喝」という叫び声等が、仏道を教える際に使われる道具としてあるけれども、そのような事例に関する正しい状態の体験も、(全て坐禅の体験から出て来る処であつて、)物事を頭で考えたり,区分をしたりする働きによつて、理解することの出来る処ではない。況して神秘的な能力とか,修行や体験というような言葉による説明によつて、分かる処では決してない。恐らく耳に聞こえる声とか、目に見える外見とかとは違う世界での威厳のある姿であろう。どうして物事を知つたり見たりする以前の、宇宙的な原則以外のものであるというような事が、どうしてあり得よう。そのような事情であるから、正に優れた頭脳と劣つた頭脳との違いを議論することなく、頭の良い人と頭の悪い人との区別をするべきではない。仏道だけに対して専一に努力するならば、それが正に真実の探究である。修行と体験とが自然に一つに重なつて、お互いに汚し合う事がなく、進んで行く進行方向が,完全に均衡しており、恒常的である。一般的に云うならば、この世界であろうと他所の世界であろうと、西の方のインドであろうと、東の方の中国や日本であろうと,同じように仏道としての特徴を保持し、宗派としての仕来りを独占的に保持している。それは唯、坐禅をすることだけに努力をして,不動の境地に拘束されているということである。われわれ人間は、その生活環境が千差万別であるけれども、唯只坐禅をして、真実を探求するべきである。どうして自分自身の坐るべき場所を投げ捨てて,何の理由もなしに、他所の国の塵に塗れた環境を行つたり来たりする必要が何処にあろう。仮に一歩でも踏み誤ると、現在の瞬間において間違えを犯してしまう。われわれは既に人間の身体という大切な要素を、得てしまつている。したがつて大切な時間を無駄に過ごしてはならない。われわれは既に仏道における非常に大切な現在の瞬間を持つて居る。誰がその大切な瞬間を、火打石の火花のように無駄に楽しむことが出来よう。そればかりではない。われわれの肉体的な素質は、草の葉の上の露のように果敢なく,生命の運行は稲光の光のように短い。身体としての性質や生命の早さは、瞬間的に消えて行き、「あつ」と云う間に消えてしまう。謹んでお願いしたい処は、仏道を勉強しておられる高貴な人々よ、どうか長い期間に亘つて、読経や念仏のような偽物の修行に慣れ親しんで、本当の竜である坐禅に出会つた時に、その本当の竜を疑うようなことをしないで欲しい。真実を直接示し呉れる極めて具体的な坐禅の真実に努力し、学問の頂点を乗り越え、意図的な努力をしなくなつた人を尊敬し、真実を得た沢山の人々が持つて居る真実と同じ真実を実践し、沢山の祖師方が持つておられた自律神経のバランスを、正しい伝統に従つて正しく受け継ぐべきである。長い期間に亘つてそのような努力をするならば、その努力こそ、言葉では表現する事の出来ない何かであろう。非常に貴重な宝物の蔵が自然に開かれて、その貴重な宝を受け取りそれを使うことが、自由自在に出来るであろう。